それは、温かい秋の休日の事だった。

「大学生って暇だね」

庭の陽だまりの中で風に揺れてるコスモスを見ているとつい口から出てしまった。

何もすることがないので、先程からソファの上に寝転んで、ゴロゴロ・・・いや、

その、つまり、本を読んで過していたんだ。

大学生になって半年が過ぎた。・・・と、云う事は、私がこの家に来てもう３年経つんだ・・・。

ホント、この家にすっかり馴染んじゃって・・・

これも、日頃気を配ってくれているお母さんのおかげです。

あ〜あ、それにしても退屈だ。

晴香って云えば、アルバイトとかで相手してくれないし・・・誰かの代わりって言ってたかな？

私も、探そうかな・・・アルバイト・・・。


いつの間に、二階から降りて来たんだろうか？裕香お姉さんと目があった。

「あれ？・・・裕香お姉ちゃん、出掛けるの？」

「わっ・・・しぃーっ・・・お、大人の女性は忙しいのよ」

焦った様子の裕香お姉さんが口に人差し指をあててる。

大人の女性？・・・一瞬、顔が紅くなった様な気がしたが、はっと気づいた。

ボロボロのＧパン穿いた女性のことを言ってるの？

それにしても・・・何が　”しぃ〜っ”なんだろ？？？

「はあ・・・」

「じゃ、そーゆー訳で、後は、宜しくっ」

後？・・・何のことだろう？

「い、行って・・・らっしゃい」

慌しく出掛けて行く裕香お姉さんの背中に向かって声を掛けた。

やっぱり、まだ３年しか経っていないんだな・・・うん。

裕香お姉さんの性格さえ掴めてないものね。




「これでいいかしら」

しばらくすると、着物を着たお母さんが部屋から出てきた。

「裕香はまだかしら？」

「裕香お姉ちゃん？・・・ちょっと前に出掛けたけど・・・」

「えっ、出掛けた？・・・今更、どうするのよ。あの伯母さん、怖いんだから・・・」

お母さんが呟き始めた。

時々、『どうしよう、どうしよう』なんて呟きも聞こえる。

突然、顔を上げたお母さんが言った。

「裕香、何か言ってなかった？先に行ってるとかなんとか・・・」

「べ、別に・・・忙しいとは言ってたけど・・・ん〜、あ、後は宜しくって言ってた」

「えっ・・・後は宜しく？」

ちょっと、考え込む様子を見せたお母さんが言った。

「孝ちゃん、暇？・・・暇よねぇ、絶対、暇よねぇ」

「え・・・ええ、まあ・・・」

お母さん・・・ちょっと、目が・・・怖いんですけど・・・



部屋へ引っ張って行かれ、振袖を着せられ、家の前でかなり待たされたタクシーに

押し込められた私は、お母さんに訊ねた。

「何処行くの？」

「そ、そうね・・・ホ、ホテルで、食事でもして・・・」

「食事？・・・食事なら、洋服でも良かったんじゃ・・・」

「あ、でも、ほら、ホテルでしょ。このくらいの盛装しないと・・・ねっ」

「そうなの？ホテルって・・・そうなの？」

「そうよ。あっ、孝ちゃんの好きなもの食べていいわよ・・・あ、口紅くらいは、つけて

おかないと・・・」

「んっ・・・」

へへへ・・・ホテルの食事かあ・・・フランス料理とか、イタリア料理とかかな？

メニューとか、味覚えていって、晴香に作ってあげようか・・・喜ぶかな？

「裕香・・・」

「え、何か言った？お母さん」

「え・・・ああ、裕香のこと・・・恋人でもいるのかしら？・・・遊びに行っちゃって」

「ん〜、いるんじゃないかな・・・」

「へ〜、いるの？孝ちゃん、知ってるの？」

「え、あ、いや、何となく・・・分からないけど・・・」

こーゆーのは、言っちゃいけないのかも・・・

「ふ〜ん」




ホテルに着き、タクシーを降りたお母さんが、私に向かって、言い聞かせるように行った。

「孝ちゃん、今から、孝ちゃんは、裕香だからね」

「はい？」

なんだそれ？

「レストランは・・・７Fね」

質問する暇もなく、お母さんが時計を見ながら、足早にエレベーターに向かって

歩き始めた。


エレベーターから降りると、伯母さんらしき人が近寄ってきた。

伯母さんは、お母さんと二言三言、言葉を交わした後、私に向かっていった。

「裕香ちゃん、元気？・・・私も、最近、目が悪くなっちゃってねえ・・・

これが最後になるのかしら」

「は、はい・・・」

伯母さん・・・気づかない様だ。

うん、私も、２，３回は会ったような気がするけど・・・

私の場合、ボロが出ない様に、挨拶だけして部屋にいたもの。

裕香お姉さんも似たようなものだったし・・・苦手だったんだろうなぁ、きっと。

ああ、だから、今日逃げちゃったのか・・・裕香お姉さんは・・・。

伯母さんの後ろで、数人が軽く会釈されたので、同じように会釈した。

伯母さんって人に連れがいるんだ・・・

「さあ、行きましょうか」


席について、早速、メニューを探す。

何、食べよっかなぁ・・・

「こちらは、××××さん」

紹介してくれたけど、全然聞いてなかった。

「・・・６ヶ国語を話せるのよ」

ふ〜ん、６ヶ国語を話せるのか・・・晴香の照れ隠しみたいだな・・・

耳に入ってきた単語から、ふと、晴香のことを思い出した。

ええっと・・・メニュー、メニュー・・・

「これが娘の・・・香です」

私を紹介するお母さんの声が小さい。

「裕香さんは、御写真より、ずっと若く見えますね」

３０歳くらい？だろうか、正面の男性・・・６ヶ国語の人がこっちを見ていた。

「えっ」

写真って・・・え、ち、ちょっと、これって、これって・・・

自分の鈍感さをやっと自覚した。

こ、これは、もしかすると・・・メニューどころの話ではないぞ。


後から思えば、何考えてたんだろうって思うけど、その時は混乱してて、全然

余裕がなかったんだ。

（いつもだって、言わないでください；Ｂｙ孝）


これって、裕香お姉さんの身代わり？

裕香お姉さん、知ってたんだよね・・・

あ・・・だから、『後、宜しく』なのか・・・

でも逃げたって事は・・・嫌だったって事？

じゃあ・・・ぶち壊してもいいって事かな？

それなら、簡単ジャン。嫌われれば良いんだ。簡単、簡単・・・

「孝ちゃん、いつも通りで良いからね」

私の様子を見てたお母さんが耳元で囁いた。

「・・・」

いつも通り？

いつも通りにしてたら、断られるって事？

それって、別の意味で、問題じゃない。

うう・・・いつも通りで、断られる・・・断られる・・・断られる・・・

あれ、待てよ。そーすると、裕香お姉さんのお見合経歴（？）にキズがつくんじゃない？

頭の中に、対戦表が浮かんできた。

裕香対戦成績表・・・第１回戦目；×・・・なんちゃって・・・。

ダ、ダメだ。そんなのダメ。

身代わりには、身代わりのプライド（？）があります。

つまり、相手からはＯＫ貰って、こっちから断るようにしないと・・・

そんな事、出来るんだろうか？

いつも通りで断られちゃう私が・・・

それより、第一、こんなところ晴香に見られでもしたら、最悪なことになる。

そんなことは、万が一にもないだろうけど・・・

一瞬、背筋がゾクッとした。

振り返ると・・・最悪がそこに居た。

「げっ・・・は、晴香」

私の声に晴香も気がついたようだ。

「え、晴香ちゃんも来てるの？」

伯母さんも振り向く。

「・・・の友達のようですわ・・・私、ちょっと・・・」

お母さんが晴香のところへ近寄って行く。

うまく話してくれたかな、お母さん。


「２時まで、ここでアルバイトらしいわ」

戻ってきたお母さんが教えてくれた。



料理とか運ばれてきたけど・・・

晴香の視線が気になって落ち着かない。

そ、それに、な、なんか・・・お水を注ぎにくる頻度が多くない？晴香。

私も注がれたお水をすぐ飲んじゃうからかもしれないけど・・・

料理の味も分かんないよ〜〜


食事が済むと、伯母さんが言った。

「ふたりで、散歩でもしてきたらどう？・・・ここのお庭、良いそうよ」

うわ〜っ、やめてくれ〜

ふたりっきりで、何、話すの？

大体、裕香お姉さんの身代わりなんて無理だったんだよ。

裕香お姉さんの方が、ず〜っと綺麗だと思うし・・・私なんて・・・

努力しようにも・・・否、もう、覚悟を決めるしかないか・・・

そ、そうだ、誰かが言ってたっけ・・・成る様に成る・・・

あれ？・・・成る様にしか成らない・・・だっけ？

立ち上がって、辺りを見回したが、晴香の姿は見えなかった。

厨房の方へでも行ったのかな？



私は６ヶ国語の人（名前聞いてなかったから、そう呼ぶことにした）の後について歩いた。

「裕香さんって、大人しい人なんですね」

大人しい？

裕香お姉さんなら・・・やっぱり、大人しく、猫被っているだろうな、多分。


ホテルの庭は、芝生と噴水・・・所々に山茶花の花が咲いていたりして・・・

青い空にも薄く雲が掛かっているけど、そよぐ風の割には、陽だまりは、ポカポカと

暖かかった。私達の他にも、数人の人が庭に居た。



何を話したら・・・と、思っていた所に、いきなり、若い男の人が話し掛けてきた。

？？？

な、何語なんだ、これ。

容姿は・・・日本人に見えるけど、違うんだ。

何、言ってるのか、さっぱり。

６ヶ国語の人も英語とかで訊ねているようだけど・・・さっぱり、通じないみたい。

ははは・・・ど、どうしよう・・・

そう思ったとき、誰かが、私の肩を叩いた。

は、晴香・・・

ホッとした私と外人の間に、晴香が割って入る。

晴香が、外人と会話してる？

照れ隠しの晴香の言語レパートリーが増えてる？

あ・・・と、言うより、ホントに話せるようになってる？

これは、ちょっとした驚きだった。

日本人にしか見えないその外人は、納得した様子で私達から離れていった。

「ポルトガル語のようですよ・・・このホテル、色々な国から来てるみたいですから」

そう言って、晴香も離れて行く。

６ヶ国語の人は、辺りを見回してから言った。

「も、戻りましょうか」


早かったのねと言う伯母さんに、６ヶ国語の人は、

「外は少し肌寒くて・・・」

と言い訳してた。




晴香も一緒に帰ることになった。

車に乗る時、先程の外人さんがちょうど居て・・・

『頑張れよ』って晴香に言ってた。

何、頑張るんだろう？・・・

あれ？・・・日本語？？？


家に帰ると・・・裕香お姉さんはいなかったが、テーブルの上にお母さんのお気に入りの

お店のケーキの箱が置いてあった。

「ト、トイレ・・・」

私は、家に帰るとすぐトイレに飛び込んだ。

お水の飲みすぎだ。

ふう〜・・・すっきり・・・

着替えて戻ってくると、晴香が当然のように、ケーキに手をつけていた。

「甘いの苦手じゃなかったの？」

「この店のは、大丈夫なの」

まあ、いいか・・・今日は、晴香のおかげで助かったような気もするし。

横に座った私に、溜息をひとつついてから、笑いながら言った。

「はぁ〜っ・・・孝って・・・・どうせ、料理にでも釣られたんでしょ。美味しかった？」

イテテテ・・・

う〜・・・ほっぺた抓るなよ。痛いじゃないか。

笑ってる晴香の仮面の下に嫉妬が見えたようでちょっと嬉しいような気がした。

ん？・・・まさか、料理の方に嫉妬ってことないよね？

晴香の事だ。有り得ない事もないか・・・

しかし、暇だと、こーゆー役割が回ってくるのか・・・

と、思っていると晴香が言った。

「大学生って、大変だね」

「え？」

「やりたい事っていうか、やれる事っていうか・・・たくさんあってさあ・・・

やりたくても出来ない事も・・・それに、やらなければならない事もね」

「え、やらなければならない事？」

「課題よ・・」

「えっ、課題？」

「ほら、先週でた・・・水曜までの・・・結構、大変なのよねえ、あれ」

「水曜日？・・・あっ」

忘れてた。

「晴香、終わった？・・・ね、ねえ、見せてよぉ〜」




後日、気が進みませんって返事しておいたからねって、お母さんから聞いた。

ホッとしたのも束の間。伯母さんが次の話を持ち込んでいるようである。

家に来た伯母さんが裕香お姉さんと私を見て、首を傾げていたが、気づいていないようだ。


ホント・・・こーゆーのって、成る様にしか成らないんだね。



第２話　終了




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