しまった・・・晴香の知り合いだと思って油断した。

こんな工場の裏手のようなところまでついて来たのは、どう考えても失敗だ。

それが、こんなことになるなんて・・・怪我さえなければ、この位の壁乗り越えてやるのに・・・

ふたりの間をすりぬけて、３０メートルほど走れば・・・やっぱり無理かあ。

う、これじゃあ、もう逃げられない。や、やばい・・・

「あんた達、何してんの。・・・ちょっと近道したら、これだ」

男達の後ろから声がする。

「あ、木下さん」

「あれ、晴香」

工場のコンクリート壁の壊れたところから、木下さんが現れた。

助かったと思いながら、なんで、そんなところから出てくるんだろうとも思う。

「何だ、知り合い？ちょうどいいじゃん、君も一緒に遊びに行こうぜ」

「お断りよ。あんた達みたいに品のない人」

「へー、そうかい」

木下さんを捕まえようと一人が手を伸ばす。

「イテテ、なんだ、この女」

一瞬のうちに、男の手が捻り上げられていた。

「おあいにくさま、私、”段”持ってんのよね」

木下さんが不敵に笑っている。

「な！」

「弥生ネエ、何してんの」

柔道着？を持った数人の中学生が同じように出てくる。

「ちっ、行こうぜ」

急ぎ足で去っていく男達を見てほっとする。

どっちにしろ、こんなところからは、早く離れよう・・・。

「あ、有難う。助かったわ」

「あんなのって、かっこばっかで、だらしないんだから」

去っていく男達を見ながら、木下さんが言う。


「ところで、晴香も、何故やっつけちゃわないのよ。習ったでしょ、合気道。

自分の身を守れるくらいにはなってるでしょう」

「そ、それは・・・」

木下さんが、こっちを、まじまじと見ながら、笑い出す。

「あれ、あはは・・、晴香がルーズソックス？」

「ち、違うって」

晴香そんなもの持ってなかったし、ちょっと、想像出来ない。

「え、何・・・湿布？あれ、もしかして、腕も？・・・その怪我どうしたのよ」

「え、ちょっと・・・」

改めて問われても困るんですけど。

「ちょっとって・・・まさか、階段からでも落ちたとか・・・日高君からの電話をとろうとして

焦って落ちたとか・・・」

「う・・・」

なんて、勘のいい女。

「え、何、図星なの？・・・へえ、あの晴香が」

あきれたって言うか、どっちかと言うと驚いたっていう風に見ているみたいだ。

「・・・・」

「信じられないなあ、晴香が・・でも、これじゃあ、反撃も出来ないか」

「・・・・」

話を聞いててわかったのが、晴香と木下さんが通っていた中学は、

”健全なる精神は健全なる身体に宿る”とかいう方針で、皆、武道を齧ってるらしい。

そうか、合気道か・・・もしかすると、晴香も木下さんも乱暴なところがあるのは

そのせいかもしれないなと、ふと思った。

いや、人には向き不向きもあるし、元々・・・考えるのはよそう・・・

「じゃあ、今のも、日高君と待ち合わせの最中に、変なのに、引っ掛ったとか・・・」

「う・・・」

つくづく、勘のいい女。

「え、じゃあ、彼はどうしたのよ」

そういえば、晴香どうしちゃったんだろう・・・

「そ、それが・・・」

「何？まだ来てないの」

「電話したら？」

「うん、そうしようって思ってたところだったんだけど・・・え〜っと、電話は・・・」

周囲を見渡し、公衆電話を探す。

「はい、貸してあげる」

「え、木下さん、携帯電話持ってるの？」

薄いピンク色の携帯電話。

「今時、持ってないほうが、おかしいわよ。うちの学校だって、休みの日までは言ってないし、

駄目な主旨だって明確にしてるでしょう。それさえ守ればいいじゃない」

「そりゃあ、そうだけど・・・」

「それより、また、『木下さん』になってるよ」

「え？そうだった？」

「・・・階段から、落ちたときの打ち所が悪かったのかしらネエ」

「え、頭は打ってないよ」

「ぷっ・・・晴香から、そんな答えが返ってくるとは思わなかった・・・とりあえず、電話しなよ」

「・・・うん」



「もしもし」

『はい、日高です』

「あ、はる・・日高君」

『孝？』

「なんで、まだ家にいるの？」

『なんでって、待ち合わせ、１時でしょう』

「え、１時？」

『孝、午前中はゆっくり休みたいって言ってたじゃない』

「あ、そっか」

『もしかして、今、駅？』

「うん、まあ」

『何時と間違えたの？』

「え、１１時」

『じゃあ、１時間くらい待ってたの？だから、迎えに行くって言ったのに』

「う、うん」

『はあ、じゃあ今すぐ行くね』

「え、悪いよ。適当に時間つぶすから」

『ふふ、女の子を待たせるのは私の理想じゃないもの。だから』

「え、そ、そう？」

『じゃ、ちょっと、待っててね』

「うん」


切れた電話を見つめながら・・・・晴香はいつも、待ち合わせの１０分以上前にきているから・・・・

２０分前には来て待ってなきゃあってことかな・・・なんて思ってしまった。


「晴香、どうだった？」

「え、うん、やっぱり、頭打ってたみたい・・待ち合わせ、１時だった・・すぐ来てくれるって」

「あはは・・な〜んだ、せっかく一言、言ってやろうと思ったのに・・晴香の勘違いか・・

でも、すぐ来てくれるんだ・・いいなあ」

『弥生ネエ』

後ろで弥生を呼ぶ声がする。

「あ、あんた達、先に戻ってて」

「あ、今日は、なにかあったの？」

「あ、今日、昇段審査があったの・・で、引率だったんだけど、その帰り道」

「はあ、そうなんだ」

「合気道は、精神修養と、美しさよ。まさに、私向きよねえ」

ちょっと、さっきと言ってる事が違わない？・・・それにしても、勝手に工場の中通ったりして、

よく怒られないよなあ・・・。

「あ、見つからないから大丈夫よ」

へ？思ってたことがわかったのか・・・やっぱり、勘がいい・・・けど、言ってる事と、

やってることむちゃくちゃじゃない。

「晴香たち、お昼、食べるんでしょ、一緒しちゃダメ？」

「え、あ、構わないけど・・・助けてもらったし」

「へへへ・・・本当は、晴香をこれほど変える日高君を、もう一回じっくり見たかったのよ」

「・・・やっぱり、そんなに変わったかな？」

「え、うん。かなり・・・あ、以前よりはいいと思うけど・・・」

「え？」

どういう意味だろう？

「私は、きゃぴきゃぴの晴香の方が好きかも・・・」

は？きゃぴきゃぴ？・・・なんだそれ？

「あ、晴香知ってると思うけど、私、遠慮なく言っちゃうほうだから、気にしないでね」

「う、うん」

それにしても・・・でも、これ以上は、バレないようにしないと・・・。



「あ、彼、来たんじゃない？」

「あ」

晴香が自転車で来たようだ。ちょっと、飛ばし過ぎ？・・・凄い汗。

「あれ？やよ・・木下さんも一緒だったの？」

「こんにちわ、お邪魔さまでーす」

ふ〜ん、ちょっと、声のトーンが違うじゃない・・・と思いながら、晴香にハンカチを渡す。

「うん。はい、ハンカチ・・・そんなに急がなくてもよかったのに」

「あ、サンキュ・・・でも、その格好、どうしたんだ」

やっぱり、気付かない筈はないか・・・どう誤魔化そうかな・・・

「あ、ちょっとね」

「晴香、階段から落ちたんだって」

「あ、言っちゃダメ」

げっ、予想外の事態だ・・・

「「え？そうなの？」」

「「「・・・・」」」

「じゃあ、さっき、絡まれていたのも、言っちゃいけないんだよね」

弥生がぼそっとつぶやく。

「あー、もう、言ってるって」

「え？どういうこと」

ほら、こうなるんだから・・・

「と、とにかく、お昼しようか」

まず、矛先を変えないと・・・

「そうねえ、じゃあ、あそこででも」

木下さんが、近くのハンバーガーショップを指差している。

「あ、今日は、私、奢るね。助けてもらったりしたし。時間間違えたりしたし」

「晴香、ホントに？ラッキー、サンキュ」

「大丈夫？」

「うん」

このくらいで、誤魔化せるなら、安いもんよ。



「・・・と、いうわけなのよ。晴香ってば、最近すっごく綺麗になったから気をつけないとね。

ねえ、日高君」

全然、誤魔化せてないじゃないか・・・木下さんて、こんな・・・火に油を注ぐような

性格だったんだ・・・

「え、ああ・・・そうだね」

「あれー？それだけ？・・・はあーん、よっぽど自信があるんだ」

「え？」

「晴香は、自分以外の男は見ないって・・・まあ、実際そうかもしれないけど」

弥生がそう言いながら、自分で納得している。

「ちょっとォ、弥生ったら」

なんで、そんな話になっていくんだよォ・・・

「確かに・・・晴香は、他の男なんか見ないし、絶対見させないよ」

晴香が、きっぱり言う。・・・ちょっと、晴香まで・・・こう言い切られると、こっちが、恥ずかしい。

「え、あ、ごちそーさまーっ」

まあ、そうとしか言えないだろうなあ。

それにしても、お昼って時間帯と話題のことも考えて欲しい・・・

周り、学生でいっぱいなのに・・・しっかり注目されてるし・・・

こっちは、さっきから下向きっぱなしだよ・・・こんなとこ、入るんじゃなかったなあ。

「晴香も、ほっそりしたけど、だいぶ痩せた？」

「え？まあ」

話題はかわって、よかったけど・・あんまり、話題にして欲しくないなあ。

「何キロ？」

「！、そんなこと、こんなとこで訊くことないでしょ」

「あ、そうね。でも、最近、二人べったりだから、話す機会がなくて」

「え、そ、そんな・・・」

そんな風に言われると困る。

「じゃあ、教えてよ」

仕方ないか・・・弥生の目がいたずらっぽく変わったのには気がつかなかった。

「ぼそぼそ」

「はー、そうなの？・・・・えへ、末尾はイチだそうでーす」

「あー、弥生っ」

慌てたが、後の祭り・・・晴香が勢いよく席から立ち上がる。

「孝！そ、そんなに痩せて大丈夫なの？１ケ月で、７キロなんて・・・ちゃんと、ご飯食べてる？

どこか、悪いとことかない？」

ああ、しまった・・・

「あ、だ、大丈夫だから」

「あ、あ、あの・・・なんで、そこまで、わかっちゃうの？」

弥生は、ちょっとした、いたずらで言ったつもりだったのに。凄く後悔している風・・・。

そう問われて、晴香も、しまったって顔してる。

「う・・あ・・見れば、大体わかるんだ・・なんなら、木下さんの体重とか、スリーサイズとか

当ててみようか？」

「「え」」

弥生が慌てて、腕で胸を隠している。こっちも、つられて・・・

晴香が木下さんに、手で何か合図？している。

それを見た木下さんが、青くなってる。

？？？

「あ、いいです」

「あ、木下さん、今日の話、内緒ね。でないと、皆にバラしちゃうよ」

「う、うん」

弥生が焦って頷いている。

「じゃあ、晴香、今日は、ご馳走様。また、学校でね」

「あ、うん。今日は有難う」

あーあ、弥生まだ、腕で、胸隠してる・・・でも、変なの？

「今の何？」

「え、孝、知りたいの？弥生のサイズ」

「あ、いや、そうじゃなくて・・・」

「孝には、教えられないよ」

だから、そうじゃなくて・・・もう、疲れるなあ・・・木下さんと晴香がわかる合図みたいなのって

何か知りたいだけだったのに・・・晴香、へんな誤解してない？あ、もうひとつ、

「は、晴香、本当に見ただけでわかっちゃうの？」

「そんなの、わかるわけないでしょ。弥生のは、たまたま知ってただけ」

それはいいんだけど、見ただけでわかるって噂立ったら・・・冗談じゃすまされないんだけど。

だって、それ俺のことなんだからね。適当な誤魔化し方しないでは欲しいなあ。

「・・・でも、孝、本当に体大丈夫？階段からも落ちたって言うし」

「あ、ごめん。晴香の体、傷つけちゃって」

「そんなことは、かまわないんだけど」

「階段から落ちたのは、数段だし、呼ばれて、振り向いた拍子のちょっとした不注意」

「そうなら、いいんだけど・・・体の調子が悪くて、落ちちゃったんじゃないかと」

「え、う、うん、大丈夫だから」

「体重だって」

「もう、だいぶ慣れたから、これからは太ると思うよ・・・もしかしたら、晴香に

怒られるくらいに」

「えっ・・・ほどほどに、お願いします」

「うん・・・あはは」

思わず笑ってしまう。晴香はそれを見て、少し安心したようだ。

「じゃあ、行こうか？」

「うん」


でも、体鍛えないとなあ・・・晴香に守ってもらうのも、カッコ悪いしなあ・・・

木下さんにでも、習おう・・・かな



第１８話　終了




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