足取りが重い・・・

帰り着いた家は、いつもと違い、どこか余所余所しい感じがした。



息苦しさに耐えかねて、ついに言ってしまった。

『距離を置いて、少し考えてみたい』

でも、心は軽くなったわけでもない・・・むしろ、苦しさが増しただけだ。

考えと行動が一致しているとは思えない自分自身。

理想ばかり押し付けていたような気がする。

そして、容赦の無い現実・・・と猜疑心。

孝だって、彼の優しさと、こんな環境にあるから私を見ているだけなのかも知れない。

最初の頃、孝は元に戻りたいねって言っていた。

でも、最近はそんなこと口に出さなくなったけど・・・

諦めてしまったのかもしれないし、慣れてしまったのかもしれない。

だから、私はある面、今の状態のままを望んだだけなんだ。

孝を拘束するために・・・

でも、こんな考え方、間違ってる・・・自分自身でも納得出来ていない。

自分でも、気がついているから・・・

この苦しさが罰であるなら、少しでも許されるのだろうか？





気が進まないが、学校へ行かない訳にはいかない。

家を出て見上げた空は、心と同様泣きそうな顔をしていた。


「晴香、おはよう・・・」

教室へ入ると、孝が声を掛けてくれるけど・・・返事を返すのも躊躇われる。

曖昧に視線を宙に泳がせていただけだったように思う。

日中、孝は、何度か話しかけて欲しそうな様子が見受けられたが・・・

否、これは、私のほうが話しかけたかったのかもしれない。



授業終了のチャイムが鳴った。

「クラス委員、今のプリントを集めて職員室まで持ってきてくれ」

「は、はい」

な、なんか・・・孝が何か言いたげにこっちを見ている。

仕方ないでしょう・・・私の仕事なんだから。

・・・言い訳を作ってる。


昼休み、食事の後、水都さんが、孝に話し掛けている。

「晴香、行くんでしょう？」

「え？何処へ・・・」

孝が、ぼうっとしたような声で答えている。

「やだ、会議でしょ・・・私も、部長の代わりに出席するの」

「あっ、そ、そーだった」

「忘れてたの？」

「う、うん、そーみたい・・・」

水都さんが、こっちを見る。

言いたいことは、解っている。

「忘れている訳じゃないから・・・先に行ってて。後から、行くから・・・」

水都さんが、頷く。

「晴香、先に行ってましょう」

「う、うん・・・」



放課後、コースケ君達とバスケ。

「久しぶりに、やろうぜ」の言葉に乗ってしまった。

気が・・・紛れる。

額に流れる汗が気持ちいい。



教室へ戻ると・・・孝の姿は見えない。

水都さん達と一緒に帰ったのだろうか？

ほっとすると同時に寂しさを覚えた。

自分で距離をおきたいと言っておきながら・・・なんて、我侭な・・・

今更ながら、唇をぎゅっと噛みしめた。




朝、いつものように駅に向かうと、途中で大野木さんと出会った。

「日高君、おはよう」

「・・・おはよう」

「日高君は、この電車なんだ」

「え・・・ああ」

「同じ駅なのに遭わないし・・・いつも、こんなに早かったんだ」

「別にそういう訳じゃ・・・」

曖昧に返事を返す。

ホームで立ち止まると、大野木さんが腕にしがみ付いて来た。

「な、なにを・・・」

周りを見回し、人が見ていないことにホッとし、腕を振り解こうとした。

大野木さんは、振り解こうとした腕を、逆に強く抱きしめて来た。

「日高君って、不思議な人・・・私の事、少しは気になっているんでしょ」

「な・・・」

「あれ、おかしいなぁ・・・私のこと気に掛けてくれてるのかと思ってたけどぉ・・・」

そう言いながら、大野木さんは笑顔を見せた。

どうやら、腕の方は、放してくれる気はないようだ。

「大野木さんは・・・彼氏いるんでしょ」

「ん〜、ボーイフレンドなら、何人かいるけど？」

「えっ」

「やだ、私って、結構、モテるんだよ。ふふふ・・・あっ、そーゆー意味？

条件のいい男を捜すのは常識じゃない。女の子の間じゃ普通のことだよ」

「・・・」

「だから、日高君は条件がいい男ってことだよ。自信持ちなよ・・・」

孝も、こんな風に・・・そんなことは・・・そんなことはない。

大野木さんを見ながら、ぼんやり、孝の事を思っていた。



教室に入ると、孝の姿が目に入った。

学校に来ているということは、今の・・・同じ電車に乗っていたに違いない。。

「お、おはよう」

孝が、いつもより小さい声で挨拶してきた。

「お、おはよう・・・こ、孝も・・・同じ電車だったの？」

「う、うん・・・晴香も・・・あ、ぎりぎりだったから、いつもとは別の車両に乗ってて・・・」

孝・・・み、見てたんだ・・・大野木さんとのこと・・・。

孝の躊躇いがちな視線が全てを物語っている。

あれは、自分のせいではないと思いながら、どこか後ろめたい所がある。

「あ、えっと、あの・・・昨日、木下さんが来て、ちーって子の・・・」

孝の言葉にドキンと心臓が音を立てる。

「もう、知ってる」

「え・・・」

孝にすべてを見透かされている様に思えて、つい、言葉がぶっきら棒になってしまった。

心の隅に”しまった”との思いが浮んだが、どうすることも出来ない。

「日高・・・ちょっと手伝ってくれないか」

タイミング良く・・・なのだろうか？悪くなのだろうか？

どちらとも言えないタイミングで、泉君が話掛けてきた。

「１時間目の資料、取りに行かなければ、いけないんだ」

「いいよ・・・手伝う」

逃げる様に、その場を離れた。

息苦しくて・・・その場を離れたかった。




いくら考えても、答えは出てこない。

毎日こんな風に過ごすのは嫌だ。こんな気まずいのは嫌だ。

でも・・・こちらから距離をおきたいって言ったんだ。

どうすれば、こんな感情から逃げられるんだろう？

『ごめんって、孝に謝って、素直に自分の気持ちを話せよ』と誰かが囁く。

『お前が距離を起きたいって言ったんだろう。もう少し考えろよ』と誰かが囁く。

『別にこんな事で悩む事なんか無いんじゃないか』と別の誰かが囁く。

自分のプライドが邪魔をしていることだけは分かる。

でも・・・

『い、今は、男の子だろ。どうしなければいけないか分かるだろ。さあ、顔上げろよ。

胸を張って・・・そうして、ちゃんと謝るんだ』

うん・・・心の中で頷き、顔を上げたちょうどその時、孝の姿が見えた。

よし、勇気を出して・・・

「孝・・・」

慌ててコトバを飲み込んだ。

何故って・・・須藤君と話している孝の姿を見つけたから。

孝しか見えてなかった。

他の誰かと、楽しく過ごしている孝なんて考えたことなかったから。

孝なら、何も言わずに自分を待っていてくれる・・・そんな風に考えていた。

孝だって、意思を持った一人の人間なのに・・・

心臓を手で鷲掴みされたような気がした。

慌てて、廊下を曲がって体育館の方へ方向を変える。

一歩、一歩、離れていくに従い、胸に空いた穴が広がっていく。

「日高君」

呼ばれた方向を見ると、体育館の方から大野木さんが駆けて来るところだった。

「体育館へ行くの？」

そう言いながら、また腕を組んでくる。

「放せよ。皆見てる」

「あら、恥ずかしいの？・・・日高君って、可愛い〜」

大野木さんが笑う。

体育館に行くと、コースケ君や祐樹君が、バスケをしていた。

「俺も、入れてくれっ」

気がつくと、コートの中へ向かって走り出していた。

「あっ、日高君・・・」

後から、大野木さんの残念そうな声が追いかけてきた。


教室へ戻ると、孝はいなかった。

「なんだ？今日も、一人なのか？」

その時、後からコースケ君の声がした。

「コージ、白石さん、先に帰っちまったのか？・・・久しぶりに、一緒に帰るか？」

「そ、そうだな・・・」



電車を降りると、コースケ君が言った。

「腹減ったなあ・・・ラーメンでも食ってこうぜ。ちょっと、話もしたいし・・・」

「え？」

コースケ君は、返事も聞かずに、スタスタと先へ行ってしまう。

慌てて、後を追いかける。

「俺、醤油ネ・・・コージは何にする」

「お、同じので・・・」

店員に注文しながら、店の一番奥に陣取る。



「コージ・・・お前・・・白石さんと何処までいった？」

「え、な・・・何、突然・・・」

「あ、その言い方・・・変わったなあ・・・お前」

「え、あ、あの・・・」

「いつものコージなら、『遊園地へ行った』位は、即、答えたぞ」

「え？、否、遊園地へは、未だ、行っていない・・・駅前の映画館くらいかな」

「・・・」

「？」

「うん・・・よし。いつものコージだな」

「？」

「俺のことは気にするな・・・俺達の中じゃ、彼女いないのは、俺だけに

なっちまったけど・・・言い換えれば、凄い美人と付き合える可能性が残ってる

って、事だしな」

そう言ってコースケ君は、二カッと笑った。

「え〜っと、ところで・・・どっちから告白したんだ？・・・教えろよ」

「そ、それは・・・」

「お前ら、いつの間にか、くっついちまってたろ？」

コースケ君が、こっちを見据えている。

こういう場合・・・孝なら・・・正直に答えるのかな？

え、えっと・・・ど、どっちかと言うと・・・私が、孝に・・・だから・・・

「え、えっと、し、白石さんから・・・かな？」

「え〜っ、そうなのか？告白された方なのか？」

「う、うん・・・」

店員が、ラーメンを運んでくる。

「はい、醤油、ふたつですね」

丼を並べている間に、コースケ君が割り箸を取ってくれた。

「あ、ありがと・・・」

「はは・・・いつもは、コージが取ってくれてたんだよな。今回は、俺の勝ちだな」

勝ち？・・・そんなことを競争してるの？

「でも、旨くいって良かったな」

「う、うん」

「コージ・・・ホントは、以前から、白石さんのこと好きだったろ？」

「えっ」

「以前、白石さんに怒られてたじゃん。一緒にさぁ・・・その時、嬉しそうにしてただろ？

こいつぅって・・・直ぐに、解っちゃうんだよな」

孝が、私の事を好きだった？・・・私が告白する前から？

「今じゃ、白石さん、狙ってる奴、多いだろ。ちゃんと、捕まえとけよ」

心臓がドキンと音を立てた。

コースケ君の顔をじっと見つめる。

「あ、いや、以前は、きつい女とか、言ったけどさ・・・気にしてるか？」

「・・・」

「ご、ごめん、謝るよ。そんなに気にしてるとは・・・可愛いだけじゃなく、凄っく、

優しいし・・・以前は、良く知らなかったんだよ」

「そんなこと・・・気にしてないよ。実際、そうだったもの・・・」

「え？」

「・・・」

「じゃあ、何だよ・・・その不安そうな顔は・・・他に何かあるのか？」

「女の子には・・・ボーイフレンドが、２、３人いるのが普通だって・・・」

「なんだ・・・二股掛けられてるか心配してるのか？」

「・・・」

「コージが選んだ白石さんって、そんな女なのか？」

孝がそんなことするだろうか？・・・そんなこと、あり得ない。

「そんなことない・・・」

コースケ君の言葉に首を振った。

「仕方ないなあ・・・コージのことだから、キスだって未だだろ・・・これ、先に貸してやる」

コースケ君は、鞄から袋を出してきた。

「これ見て、しっかり、モノにしちまえよ」

「え？え？・・・モノにするって？」

「だから、もっと、密接した関係になるってこと」

袋の中を覗くと数冊の本が入っていた。表紙を見て、顔が赤らむ。

「こ、これって・・・」

「バカ、早くしまえよ」

コースケ君に言われて、慌てて鞄にしまう。

周りの人が、皆、こっちを見てるような気がした。

店を出ると、コースケ君は、「コージ、頑張れよ」と言って肩を叩き、帰っていった。

それにしても・・・何か話があったんじゃ・・・私たちの事を聞きたかったのかな？

コースケ君と別れた後、鞄の中が気になり始めた。



家に帰ると、部屋へ直行した。

ど、どーしよう・・・この本・・・

以前、この部屋を片付けた時、こーゆー本は、何冊かあったけど・・・

自分には関係ないと思っていた。

モノにするって・・・孝をモノにする？

そんな考え方、女の子に対して失礼だと思っていたし、女の子はモノじゃない。

でも・・・孝と、もっと、近づける？

今まで、そんな考え方はしたことがなかった。

心臓がドキドキしているのが解った。

あ、明日こそ・・・孝に、謝ろう。



番外編（１−１３）　終了




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