「孝ちゃ〜ん、お友達よォ」

母さんの呼ぶ声がする。

「は〜い、今、行く」

読んでいた本を閉じる。

珍しいな。いつもなら、先に電話を掛けて来るのに・・・

と思いながら、階段を下りる。

「孝、今日は・・・え・・・大野木・・・さん？」

立っていたのは、孝ではなかった。

そ、そうだ、母さんは、白石さんよとは、言わなかった

いきなり、手首を掴まれる。

「さあ、行きましょ」

「えっ」




連れて来られたのは、大野木さんの・・・マンション

やはり、大野木さんの前だと、体がすくんで思うようにならない。

孝が、体調の悪かった時に引っ張りまわされた事を体が覚えてるんじゃないのって

言ってたけど・・・ホントにそうなのかも知れない。

大野木さんて、駅の傍に住んでいたんだ・・・ぼんやり、頭の中で思う。

体だけでなくって、思考もついて行っていない・・・

「入って・・・誰もいないから」

「えっ」

ぼーっとしていた頭の中が、いきなり、はっきりする。

「いいから、早く、入って」

「う、うん」

リビングへ通されて、強制的にソファに座らされた。

「珈琲でいいかしら」

「うん」

「誰も、ここへは入れたことないのよ」

「えっ」

「と、言っても引っ越してきたのは、年末なんだけど」

「う、うん」

「”えっ”と”うん”しか言わないのね」

「う、うん」

「ぷっ・・・やっぱり、変わってるわ、あなた・・・切符を探してくれた時だって・・・

私に気があって探してくれたのかと思ったら、探し終えたら、『急いでいるから』って

すぐに行こうとするんだもの・・・」

そう言いながら、大野木さんは、カップを目の前に置き、ソファに腰掛けた。

「私って、結構モテるのよ。知ってる？」

「う、うん」

「後から聞いたわ・・・あの白石晴香と付き合ってるんだって・・・」

「・・・」

「白石晴香も変わってるわ。こんな男が好きだなんて・・・」

「・・・」

大野木さんの言葉が途切れる・・・ふと、見ると、窓の外を見ている。

「大野木・・・さん」

沈黙の時間・・・

「大野木・・・さん」

再び、呼びかけてみるが、反応がない。

長い沈黙の時間・・・

・・・嫌だ、この硬い空気の中にいるのは・・・息苦しい・・・

・・・傍にいるのに、反応してもらえない・・・

同じ時間を共有しているはずなのに・・・それは、物理的な事だけ・・・

・・・も、もう・・・

「私も、変わってるのかも・・・こんな男が気になるんだから」

いつの間にか、視線が戻っている。

そんなに長い時間ではなかったの？自分の体の中の時間だけが早かったの？

そう感じただけ？・・・何故？

発せられた言葉の意味より、そちらの方に気が行ってしまう。

「今の白石晴香だって、ちやほやされたくって、人当たりのいい人間を演じてるだけじゃない」

「え」

何故、突然、孝の話しになるんだろう・・・あれは、演じているわけでなくって、

孝の性格・・・傍から見たらそう見える？・・・そう見えても、中味が違うんだから・・・

そんなことは、言えないし・・・えっ、中学時代の私を知ってる？比較・・・してる？

「何故・・・あの人ごみの中で、切符探してくれたの？・・・」

そう・・・孝の行動が分からないのは、私も同じ・・・自分が雨に濡れて、風邪を引いて・・・

今の時代・・・きっと、損をする・・・それが気がかり・・・

「・・・ふ〜ん、自分でも分からないの？・・・白石晴香のほうが良いってことか・・・」

「・・・」

「私の両親・・・私の前ではは、良い親を演じていただけなのよ・・・仲良く見せて・・・

今日、離婚届出しに行ったわ・・・もう、帰って。あなた、しゃべらないから、余計なことまで

喋っちゃったじゃない」

「う、うん。ごめん」

でも・・・このままじゃ、大野木さん以前の私の様になっちゃう・・・

「あの・・・人は、生まれた時は、新品の紙の様に皺ひとつなくて・・・でも、成長する毎に

皺が増えていって・・・人同士が接しようと思っても、紙と紙を合わせ様と思っても、

皺が邪魔をして、お互いの接点は、僅かしか取れなくて・・・その人の・・・相手のすべては

知り得ないけど・・・知る様に努力することが必要じゃないかと・・・うまく、言えないけど

・・・今はそう思ってる・・・」

「・・・」

「それじゃあ」

マンションの出口まで来て、漸く、ほっとする。

ああ、やっと、体が自由に動く・・・

何故か無性に、孝に会いたい。



「孝・・・」

孝に会いたくなって、突然、家に寄ったんだ。

「晴香、どうしたの？」

「うん、ちょっと、傍まで来たから・・・」

「そうなんだ・・・晴香、上がってよ。お茶入れるから」

「うん」

孝といると安心する。


「はい。紅茶」

「サンキュ」

ん？孝ったら、お盆を胸に抱えたまま、こっちを見てニコニコしている。

「どうしたの？」

「う・・・うん、晴香がね、予告なしに来てくれて・・・ちょっと、新鮮で、嬉しいかなって」

「バ、バカッ」

「バカ？・・・なんで？晴香、それ、あんまりじゃ・・・」

「いいの。こーゆーのをバカっていうんだから」

「バカ・・・なんで・・・ぶつぶつ・・・」

孝、嬉しいって言ってるんだよ・・・無条件に、歓迎してくれて、嬉しいって・・・

孝の傍にいれば・・・



弥生が孝にプレゼントの催促をしている。

孝・・・分からないよね、突然言われたって。

「日高君も、くれるなら、何でも貰うからね。晴香と一緒に来てね」

なんとも・・・弥生らしいや・・・

孝に、弥生が誕生日だって事を説明する。

会議中、孝と雑談してた・・・っていうより、孝が、何度も話し掛けて来て・・・

それがバレて、プリント配り・・・やれやれ、孝といると雑用が・・・絶えない。

雑用は、嫌いじゃないけど・・・しっかり、孝には言っておかないと・・・

まず、美術部へ行って、次が写真部。

あ、写真部には、大野木さんがいるんだっけ・・・。

この間のことは、孝に話していないし・・・孝にバレたら、騒がしいことになりそうだし・・・

孝が、大野木さんはいないよって伝えてくる・・・ほっ。

次が、英会話。で、次が手芸部・・・そうして、最後が合唱部。

「あ〜や、どうしたのよ」

水都さんの声？

「晴香さんの正体って、なんだと思う？」

「正体って何よ」

「怪しいのよ・・・」

孝が入り口の方から後ずさりしてくる。

「孝、また何かやったの？」

「別に、何も・・・あっ・・・」

「『あっ』って、何したのよ」

・・・

孝が、リボンの話を、説明している。

ホント、次から次へと・・・退屈させないって言うか・・・

そんなところも良いんだけど・・・甘やかす訳にはいかないし

孝、独りで行ってもらうことにした。

出来の悪い子供を持った気分・・・ってこんなのかな？

「こ、こんにちわ・・・プリント、持って来ました・・・」

「あ、ご苦労様・・・ありがとうございまーす」

・・・

孝が、複雑な顔をして、戻ってくる。

聞こえてくる会話だけでは、ちっとも、要領を得ない。

「なんだったの？」

「さあ・・・良くわからない・・・」

孝もホントに分からないみたいだ・・・バレてる訳じゃなきゃ、いいか。

「とりあえず、バレてるって事じゃないみたいね」



「あの、晴香・・・」

「今度は、何？」

「え、あ、あの、木下さんのプレゼントだけど・・・」

「ああ、弥生の・・・」

プレゼントをふたりでしようって事らしい・・・

「あ、そ、それで、ケーキでも作ろうかなって・・・どうかな？」

「え゛・・・」

冗談、この私に、ケーキを作れって？・・・皆を殺すつもり？

「あの・・・晴香？」

「あ・・・作る？・・・買うの間違いじゃ・・・」

「ベースは前の日に作っておくから、当日は、デコレーションだよ」

デコレーションだけか・・・デコレーションなら、人が死ぬことないか・・・

「う、うん」

ここは、了承しておいたほうがいい・・・



翌日は、運動部へのプリント配り。

活動場所があっちこっちにある文化部と違って、クラブハウスがかたまっているから、

配り易いや・・・

まずは、一番遠い、野球部から行く・・・

サッカー部、テニス部、バスケット部・・・順番に廻った。

昨日より、早く終わった。



孝が、例題を一生懸命、解いている。

他人に教えるって云うのは、結構、自分の勉強になるんだ・・・

「晴香・・・ここは？」

ん？何処？・・・って・・・教えられてるほうが、学年トップ？

「孝・・・まさか、授業中、寝てて・・・」

嫌な考えが、頭を過ぎる・・・ま、まさかね

「あ・・・は、晴香のほうが、教え方が上手なんだよ」

「・・・」

ま、まさか・・・



孝との約束通りの時間に呼び鈴を鳴らす。

「あっ、晴香、入って」

エプロン姿の孝が顔を出す。

孝がニコニコしながら、割烹着を着せてくれる。

服を汚さないように、完全武装って感じだ。

「こ、こんなに大きいの・・・」

「だって・・・木下さん用でしょう」

「そりゃあ・・・まあ・・・そうか・・・」

ケーキの大きさには、驚いたけど・・・でも、デコレーションも、ちょっとした仕事じゃない。

でも・・・これ作るのに、孝も、何度か、失敗したのかな？

「始めようか」

孝の言葉に促されて、真剣になってクリームを塗りはじめる。

孝が何か、ぶつぶつ言いながら、チョコレートに文字を書いている。

こっちは、クリーム塗るのに集中してるんだからね。思わず、孝を睨む・・・

孝には余裕でも、こっちは・・・必死なんだよ。

孝が作ったものを、台無しにしたくないからね。

さて、苺を並べて、チョコを乗せて、蝋燭入れて・・っと。

「完成だね」

よ、良かったぁ、無事終了。思わず、笑みがこぼれる。


・・・慎重に運ばないと・・・傾けて、潰したら最悪。

もう、二度と作りたくない・・・あ、今日は、だけど・・・

孝となら、また作ってもいいかも・・・

「この川に沿って行けばすぐだよ」


「あ、晴香、いらっしゃい。日高君もありがとね・・・皆、もう来てるわよ」

お雛様が飾ってあるいつもの部屋・・・明日香、美穂、奈々、愛菜、弥生・・・

懐かしい顔ぶれが揃っている。

「晴香、久しぶり」

孝がちらっ、ちらっとこっちを見てくる。

そりゃあ、分からないだろうな・・・

「きゃ〜あ、彼が、晴香の彼氏？」

「結構、可愛い顔してるじゃない」

これだから・・・相変わらず、つつましさとか恥って言葉、知らないんだよな・・・

孝だって、こんな話には、慣れていないだろうし・・・

孝に目配せして、箱を弥生に渡す。

「これ、日高君と、私からね」

「何？・・・開けていい」

木下さんが、そっと、ふたを開ける。

「やったあ〜、これ、手作りだよね」

「え〜、晴香のケーキ・・・塩辛いんじゃ・・・」

「お腹こわさない？」

こ、こいつら・・・思慮とか考慮って言葉、知らないの？

「何言ってるの・・・今や、晴香のお菓子って云ったら、プレミアものなのよ」

プレミア？思わず、孝と顔を見合わせる・・・

料理の実習があった後、男子に売られていたお菓子って・・・もしかして・・・

「え〜、本当？・・・信じられないよ・・・見た目はいいけどさあ」

「中学時代、何人死んだか・・・」

「誰も、殺していないって・・・」

晴香が、言いかけて、慌てて、自分の口を押さえた。

「論より証拠・・・食べてみようよ」

弥生が、一口、頬張る・・・

「くう〜っ・・・晴香と、料理実習一緒にやりたいよォ」

それを見てから、皆が続く。

「う・・・ホントに、お、おいしい・・・」

「え、どれどれ・・・ホントだ・・・信じられない」

「ふたりで作ったんでしょう・・・日高君も、料理上手なんだ・・・うらやましいなあ」

孝、色々話し掛けられて、途惑っていたみたいだけど・・・バレてはいないみたいね。

お皿に取ってくれたケーキを食べてみた・・・甘いけど・・・あっさりしているっていうか・・・

美味しい・・・

クリームも均一に塗れてるじゃない・・・

「弥生に言われても信じられなかったけど・・・ホントなんだ」

「晴香って・・・うぐっ」

弥生が愛菜の口を押さえてる。

「ね、ねえ、ゲームでもしない？」

孝は、訳が分からず、きょとんとしてるし・・・でも、今日は、付いて来て良かった。

こいつら、ホント、危険だ。思慮とか考慮って言葉の存在さえ、知らないらしい



皆、試験中か、翌日から試験ということで、早めに解散になった。

皆が帰った後、弥生に話しかける。

「木下さんて、甘いもの得意なんだ・・・」

「え、あ、まあ・・・なんでもね」

「ふ〜ん、でも、木下さん、スタイルいいよね・・・」

その言葉を聞いて、慌てて、胸、隠してる。

はああ、孝の言ったとおり、こんなに、気にしてたんだ・・・

でも、孝は、知らないだろうけど・・・弥生は、ホントにスタイル良いんだよ。

数字は、数字。バランスなんだけど・・・でも、本人がこれほど気にしてるなら・・・

「こんなもんだっけ？」

「え、あ、まあ、そんなものよ」

孝が不思議そうに見ている。



孝と並んで、歩きながら、孝には、お礼を言わなくっちゃと思う。

「孝・・・ありがとう」

「え？何が」

「作って、よかった・・・皆が見直してくれたのが・・・ちょっと、嬉しかった・・・

あ、ほとんど、孝が作ったんだけどさあ」

「晴香だって、一緒に作ったじゃない・・・それに、潰れない様に持って行ったのは晴香だよ」

「う、うん」

「木下さんの誤解も解いてくれたんだよね」

「うん・・・あんなに気にしてるとは思ってもいなかった。これからなのにね・・・」

「でも・・・木下さん、嬉しそうだったね」

「ああ、胸、１０センチ多めに言っておいたから・・・」

さっきも、言ったとおりバランスなのに・・・

「そりゃあ、ちょっと、大変だね」

な、何？孝・・・今のどーゆー意味・・・

「・・・ま、まさか、孝、手話を・・・」

「バレないように・・・ちょっとね」

「孝、忘れなさい。完璧に忘れなさい。でないと、強制的に忘れさせるわよ」

げんこつ一発で綺麗さっぱりと・・・

思っていることが分かったのか、即、返事が返ってくる。

「わ、忘れます・・・はい、完璧に忘れましたっ」

この軽さ、絶〜対、信じられない・・・う〜〜、どうしてやろう・・・



番外編（１−２）　終了




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