「お嬢様、陽子お嬢様」
車を降り、マンションの入り口へ歩き始めると、後ろから呼び止められた。
「ついて参りましょうか？」
「いえ、大丈夫です」
・・・とは、言ったものの、突然の訪問である。
いつもなら、麻里亜さんが守衛の方へ連絡を入れておいてくれるか、北城さん達が
取次ぎをやってくれるが、今日はひとり・・・でも、平気な顔で答える。
「景子さん。２時間程時間を潰して来て下さい」
「はい・・・お嬢様」
運転手兼世話係の景子さんが車に戻った。
守衛さんの前で３メートルくらい離れて立っている少女を見つけた。
見ているだけで話しかけてこない少女に困惑気味の守衛さん。
守衛さんに軽く会釈し、少女に話しかけてみる。
「草薙のお嬢様ですよね？」
「あ、翠さん・・・お早う御座います」
きっちり、腰を折ってお辞儀をする。顔をあげた少女の表情が、安堵に変わっている。
草薙のお嬢様は礼儀正しいが、口数が少ないのが難点なのだと思う。うちのお嬢様に
言わせれば、よく喋りますというのだが・・・よく見ると、結構、可愛い顔をしている。
髪型をもう少し何とかすれば、もっと可愛く見えるのに。それに・・・
理様に顔立ちが似ている。いや、もしかしたら、うちのお嬢様、草薙のお嬢様に似ていたから、
理様を選んだのではないかとも、思ってしまう。
「お早う御座います。今日は？」
「あの・・・午前中、演劇の・・・」
「ああ、練習をされるんですよね。お嬢様、お待ちですよ」
少し前に、演劇の練習に呼ばれたのだといって理様が来ている。
草薙のお嬢様も同様に呼ばれたのだと推測される。
「え？」
「私はこれから外出しますが、お嬢様はリビングにいらっしゃいますから・・・直通の
エレベーターはご存知ですよね」
「はい」
少女は丁寧にお辞儀をしてエレベータに向かって歩き出した。
それを見た守衛さんが、ほっと表情を緩めたのを見てしまった。
「このティアラを着ければ、完成ですね」
「はい、お嬢様」
もう、２人の成すがまま・・・練習においても雰囲気が大事だからと、衣装だけでなく鬘を
つけられて、化粧までされて・・・
「あの〜」
声のする方を皆が一斉に見る。そこには草薙さんが立っていた。これは、まずいっ！
草薙さんはこっちを確認すると、呟く様に言った。
「麻里亜さんと茜さんと・・・私？」
麻里亜は慌てて草薙さんの視線を遮る様に間に立った。
「いえ、そんな訳がありません。私はここにいるのですから・・・きっと、人魚姫のお人形ですね」
『よく見せてください』と近づいて来て草薙さんが覗き込む。
顔を見られないようにと横を向く。
「あ、動いた・・・ええっと・・・ああ、さとみさんだ」
「よ、陽子さん、近づいてはいけません」
麻里亜は草薙さんを引き離そうとするが、更に近づいて来る。
「あ、あれ・・・水都・・・君？」
「違います。よ、陽子さん、早くコンタクトを取りにいらした方が良いですよ」
「今、行って来た所です」
草薙さんが静かに答える。
「・・・」
「こーゆー事だったのですね。水都君、ください！」
麻里亜の方へ向き直った草薙さんが麻里亜に言った。
演劇の練習相手をして貰おうと時間を作ってやって来たと言う草薙さんと麻里亜がテーブルを
挟んで向かい合って座っている。その間に僕が座り、茜さんは麻里亜の後ろに立っている。
紅茶を一口すすり、カップを置いた麻里亜が言った。
「どうして、あなたは、連絡もなく此処にいるのですか？」
「入り口で、翠さんに演劇の練習と言ったら通して下さいました」
「そうですか・・・でも、この事は、口外無用です」
「分かっています・・・でも、水都君ください」
「ダメです、理はあげません」
麻里亜は、こちらを向いて説明を入れる。
「陽子さんはお姫様コレクターなのですよ」
お姫様コレクター？
草薙さんは、お姫様に関するものを色々集めているらしい。
「以前は麻里亜さんをからかうつもりで言っていましたが、今は本気で言っています」
「ダメです、絶対に、理はあげません・・・男嫌いのあなたが、理をどうしようというのです？
ドレスを着せて、ガラスケースに入れて飾ろうとでもいうのですか？」
男嫌いは見ていて、分かったけど・・・と、思いながらも、ただ、麻里亜と草薙さんのやり取りを
見ているだけ。口を挟め、と言われても出来っこないし。
「それも、素敵ですが・・・父様、母様にお話して、水都君には養子に来て頂きます」
草薙さん、ぶっ飛んでる様な気がするぞ。
「残念ながら、私と理は相思相愛です。あなたが入り込める余地などありません。大体、恋愛は
当人同士の問題。他の人の力を当てにする事自体が間違っていると思います」
「当てに等・・・わ、私は・・・水都君が望めば・・・その・・・えっちだって・・・」
聞いてる方が恥ずかしくなる様な会話になってきたぞ。
麻里亜は、後ろに立っていた茜さんに何か告げた。
茜さんは図書室へ行き、辞書を持って帰ってきた。
麻里亜は、辞書を開いて何かを調べ始めた。
「鉛筆の芯の硬さ・・・では、ありませんね」
草薙さんの顔をチラッと見て、再び辞書に視線を落とす。
「えっち・・・ＨＥＮＴＡＩの頭文字Ｈを・・・」
そう呟いた麻里亜は、辞書をパタッと閉じて言った。
「結局、陽子さんも着せ替えして遊ぼうと云う訳ですね」
ここは、意味が違うと突っ込めばいいのか、自覚しているじゃないかと突っ込めばいいのか・・・
「ち、違います。この身を捧げても、と言っているのです」
「木の実？・・・おかしな宗教でもあるまいし、理にどんぐりを捧げて、どうするのです？」
この言葉に、今度は茜さんの方が慌てて麻里亜に耳打ちする。
「え・・・子孫・・・行為・・・」
麻里亜の顔が紅く変わっていく。
「そ、そういった行為は、け、けっ、結婚した後にすべきだと思いますけど・・・」
「恋愛に対しての私の覚悟を言ったまでです」
「か、覚悟・・・そ、そ、それでは、私が恋愛に真剣ではないように聞こえるではありませんか」
こんな話、何故一緒に聞いていなきゃいけないんだ？こっちが恥ずかしくなってくる。
まあ、それは別にしても・・・麻里亜は負けたと思ったみたい。
「あくまでも、私の気持ちですから・・・麻里亜さんは気にしないでください」
草薙さんは、そう言いながらも勝利を確信したって顔をしているし。
「わ、私だって、理がそう望むのであれば、考えないでもありません」
「お、お嬢様」
「茜は黙っていて」
麻里亜は、茜さんを制止し続けた。
「陽子さんは・・・そういった行為を・・・その・・・御自分から・・・」
「ち、ちょっと、待って下さい」
今度は、草薙さんが慌てた。
「私は、自分の気持ちを述べたまでで、自分からなんて・・・」
「ふうっ・・・それでは、私と同じレベルということですね」
麻里亜はちょっと安心したって風に溜息をついた。
「いえ、麻里亜さんはその時になって考えるのでしょう？でしたら・・・」
もはや、五十歩百歩の世界。何か低レベルの争いになってきていないか？・・・と、他人事の様に
聞いていた。
「考える時間も無いと言うのですか？」
「はい。災害は突然やって来るといいますし・・・」
災害？
「それは、そうかも・・・」
納得するなよ！
「男は狼だそうです。歌にもなっているそうです」
「そ、そうですね・・・」
おい！・・・口には出さないけど、激しく突っ込みを入れてみる。
「水都君だって・・・だ、男子ですし・・・」
「ちょっと、待ってください。理は、紳士です」
おっ！
「そうでしょうか？」
「勿論です」
「あ、わかりました。それは、麻里亜さんを大切に思ってか、あまり魅力を感じていないかの
どちらかではないでしょうか？」
麻里亜の眉がピクリと動いた。
「理・・・ど、どうなのですか？」
わっ、いきなり、こっちに振るなよ。仲間に引きずり込まないでくれ。と、心の中で叫ぶ。
目には見えないけど、そこに、変人と一般人とを区切る線が引いてあったはず。
いきなり、変人の仲間に引き込もうなんて反則だよ。
それに、そんな事を皆が聞いている前で公表しろって言うのか？
「そ、それは・・・」
麻里亜と草薙さんがこっちを見てる・・・か、顔が真剣だ。
「そ、それは・・・そうと、劇の練習しなくとも良いのかな？大分、時間が経ってしまった
ようですけど・・・」
白々しく時計を見ながら言ってみる。
「あ、そうでした。麻里亜さん、練習をお願いします」
「そ、そうですね。舞台成功のためです。始めましょう」
麻里亜と草薙さんは練習を始めた。
助かった・・・しかし、何でこっちが追い詰められなくちゃいけないんだ？
僕と茜さんはダイニングの椅子に座って２人の練習風景を眺めていた。
「お嬢様は、少しズレたところがあると思われるかもしれませんが・・・」
「そんなこと思ってないですよ」
茜さんがあまりにも心配そうに言うので、強く否定した。
「そうですか・・・」
茜さんは、心底、ほっとしたように言った。
話題を変えたい僕は、茜さんに尋ねてみる。
「この間、麻里亜が言っていたアクセサリーのデザインって出来たんですか？」
「えっ！」
何故か、必要以上に驚き、立ち上がる茜さん。
「そ、そうでした。翠さんにお昼の準備を頼まれていたんでした」
お昼の準備には少し早いのではと思いながら、言ってみた。
「暇ですし、手伝いましょうか？」
「いえ、今日、理様はお客様ですから、練習を見ていて下さい」
そう言って、茜さんは、キッチンへ入って行った。
ひとり残された僕は、練習を見ているしかなかった。
草薙さんは時間が来ると丁寧にお礼を述べた。
「貴重な時間を割いて練習に付合ってくださって、有難う御座いました」
「若葉公演成功の為ですし、私も練習になりました」
「本当ですか？それでは、お願いがあるのですが・・・」
「ダメです。理は、あげません」
「違います。演劇のことです」
「演劇・・・ですか」
「公演までの間、麻里亜さんの時間を私との練習の為に割いて欲しいのです・・・出来れば、
週末、今頃の時間が良いのですけど・・・」
「土曜、日曜の９時３０分から１１時３０分までですね・・・いいでしょう」
「有難う御座います。では、指切りを・・・」
草薙さんが手を出すと、麻里亜は慌てた。
「大丈夫です。そこまでしなくとも、約束は守ります」
「そうですか・・・」
残念そうに手を引っ込める。
「では、明日もお願いします」
「分かりました」
「でも、水都君は諦めません」
「もう、さっさと帰りなさい」
麻里亜は怒った様に玄関を指差した。
「はい。時間ですから帰ります」
草薙さんは麻里亜に向かってニッコリ笑い、こっちを見て手を振った。
茜さんが『少し早いですが昼食にしても良いですか』と尋ねてきた。
麻里亜は、『確かに少し早いですが・・・良いでしょう』と返事をする。
昼食にしては手の込んだ料理がたくさん出て来た。
この量は・・・あの時間から作っていたのだから、仕方ないだろうけど。
茜さんは昼食の準備を終えると『他の仕事がありますから』と部屋を出て行った。
食事が終わると麻里亜が言った。
「漸く、ゆっくり、ダンスの練習が出来ます」
ステップは覚えたけど・・・これだけ、連続で踊ると、さすがに疲れてきた。
「ダンスは楽しく踊らなくてはいけません」
そう言う麻里亜も息が切れて来ている様にも思う。
「あっ」
「きゃっ」
足を引いた時にスカートの裾を踏み付けて・・・疲れていた僕は体勢を立て直せず、そのまま
尻餅をついてしまった。
麻里亜も一緒に倒れこむ。麻里亜の長い髪が・・・シャンプーの香りだろうか？・・・良い香り
と共に視界を遮り、その後、ドンと言う感じで衝撃がやって来た。なんとか片腕だけで身体を
支えることが出来た。
「ご、ごめん。大丈夫？」
「大丈夫です。支えきれなかった私が悪いのです」
肩の方から声が聞こえる。
麻里亜は立ち上がろうした。
「痛っ・・・あ、髪が・・・」
どうやら、麻里亜の髪が、僕が着ている衣装の背中のボタンに絡まったみたいだ。
体勢を戻し、両手を背中の方へ廻し絡まった髪を外そうと作業を始めた。
片腕だけで、自分と麻里亜の体重を支えるのは、結構きつい。
上体がだんだん倒れて行きそうになる。
そんな時だった。
「ただいま戻りました」
翠さんの声だ。
「お、お嬢様。だ、大丈夫ですか」
こっちの様子に気づいた翠さんが駆け寄って来る。
助かった・・・と、思うまもなく・・・
「し、失礼しました」
傍まで来たかと思うと、いきなりＵターンして部屋を出て行こうとする。
「お待ちなさい」
麻里亜は、そう言うと、すくっと立ち上がった。
髪が解けたみたいだ・・・助かった。その場でバタッと寝転んでしまう。
「翠は、間違っています」
麻里亜に呼び止められてフリーズ状態だった翠さんが振り向く。
そうだった・・・倒れている場合じゃなかった。誤解を解かないと・・・
「休憩にしましょう・・・翠、お茶の準備をしてください」
「は、はい。お嬢様」
「はい。理も・・・」
麻里亜は、僕が起きるのに手を貸そうと、手を差し伸べた。
『翠も一緒に』と言われ、凄く緊張しているのが判る。
会食を楽しみにしていると言っていたのに、今回は全然違う。
「あれはですね。僕がスカートの裾を踏み付けて転んじゃったんですよ。麻里亜も巻き添えに
なって倒れてしまって、その時、麻里亜の髪がボタンに絡んで、あんな状態に・・・」
誤解を解こうと説明を試みるが、麻里亜が遮る。
「翠も倒れていることくらい見れば分かります。でも、近づいてみたら相手が理だと分かって
慌てたのです」
「どういうこと？」
「つまり、傍に来て初めて、私が理を襲っている様に見えたのです」
「え？」
麻里亜は翠さんへ向き直って言った。
「あの様な場合は、あの場から『お嬢様。何か御座いますでしょうか？』と尋ねるべきです。
そうすれば、ああいった醜態を晒さずに済みます」
「はい。お嬢様」
あれ？手を貸さずに、Ｕターンしたことに問題があったんじゃ・・・？
「ここは、Ｐゾーンです。基本的に翠と黄菜子と茜以外の出入りは許していません。勿論、理は
例外ですが・・・そのＰゾーンにおいては私が絶対です。ですから、私が理に襲われているのを
目撃したと仮定した場合でも、私が助けを求めていない限り何があっても無視しなさい。それも、
慌てず騒がずに、です・・・Ｓエリアでは逆の場合もありますが・・・」
なんと云う例え・・・
「そ、その・・・」
翠さんは、緊張した面持ちで尋ねた。
「逆の場合は・・・どうなのでしょう？」
「逆の場合とは・・・理が、助けを求めていた場合ですか？」
麻里亜の眉がピクリと動く。
「その場合も無視しなさい」
え、無視？
「い、いいえ、そうではなくて、Ｓエリアでお嬢様が助けをお求めになっていた場合です」
「その場合も無視しなさい」
「お嬢様が助けをお求めになっているのに、助けることが出来ないのですか？」
「その場合、私が信用してＳエリアの出入りを許したのでしょうから、助けを求める状態になる
など、それは自業自得というものでしょう」
「お、お嬢様・・・」
はーっ
麻里亜は溜息をひとつついてから言った。
「どうしても、助けて欲しい場合は『翠がＳエリアに入ることを許可します』と叫びます。
その時は翠の判断で動いて下さい」
「はい。お嬢様」
翠さんは安心したと云う様に微笑んだ。
翠さんは安心したかもしれないが、こっちは不安材料が。
「理、翠は強情でしょう。こうやって自分の意見を通していくのですよ」
「そ、そんな事は無いです、お嬢様」
翠さんは慌てて否定する。
「でも、傍に寄るまで理様とは気づきませんでした。眼鏡を外したお顔と草薙のお嬢様が
午前中で帰ると聞いていなければ、まったく判らなかったと思います」
「まあ、この姿ですし、仕方ありませんね」
「この姿って・・・これは、麻里亜がさせたんじゃないか」
「提案したのは私ですが、同意したのは理です」
「ど、同意？」
「はい。同意です」
やはり、もっと、抵抗すべきだった。
「理様。ちょっと驚きましたが、良いではありませんか。こんなに似合っているのですから」
う・・・落ち込む・・・。
「さあ、休憩は終わりにして、練習を続けましょう」
麻里亜はそう言いながら立ち上がリ、手を差し出した。
第１３話 終了
