朝、寮から校舎へ向かう途中で海棠にあった。
いや、逢ったと言うより、海棠が待っていたという方が正しいかもしれない。
校門の方を見ると安田さんがこちらを見て頭を下げていた。
慌てて、お辞儀を返す。
海棠の事を宜しくという意味なのだろうと勝手に解釈した。
なんとか実力試験前半をこなした日の放課後、海棠が俺を誘った。
「水都君。さあ、参りましょうか」
「えっ、ど、何処へ？」
「勿論、部活動へ・・・です」
「部活動？」
見学の事か？中学の時、少しやってみた弓道に興味をひかれた。高校へ入ったら本格的に
やってみたいと思っていたんだ。
「それなら、弓道部とか見たいな」
「それは・・・アーチェリーの事ですの？」
「違う、違う。弓道だよ」
「まあ、どっちにしろ、入部先は決まってますから」
「え？」
弓道とアーチェリーの違いも分からない海棠に有無を言わさず引っ張ってこられたのは
演劇部だった。
部室の前には、ふたり・・・１年の女子生徒がいた。
「あ、麻里亜さん」
ひとりが海棠に気付き、手を振っている。
「麻里亜さん、お待ちしていましたわ。あら、その方がお噂の・・・」
海棠と同じ様な話し方をするふたりに対し何か嫌な予感がした。
「ええ、水都理君。私の恋人です」
「あ、ど、どうも・・・」
海棠は友人に俺の事を恋人ですと紹介する。訂正する気はないらしいが、何処まで本気
なのか・・・。
「やっぱり、本当でしたの」
「勿論です。こちら、私の友人の加奈子さんと絵里香さんです」
し、しかし、そんな紹介の仕方されても・・・名前なんかで呼ぶ訳にはいかないだろうと
思いながら笑顔で応対していた。
ドアをノックして入ると、そこはかなり広い部屋だった。
普通の教室、４個分位。
部屋の一角に机がかためてある。
３年生がこちらに近づいてくる。
「神川部長。私達を、入部させて下さい」
神川部長と呼ばれた先輩は、微笑み、答えた。
「中等部の頃から活躍なさっている皆様方が、私達の誘いを受けて下さって嬉しいわ」
この３人、中等部の頃に勧誘されていたようだ。
「それで・・・そちらの男子は？」
「水都君です。私が入部すれば、水都君も勿論、入部です・・・ですわね」
海棠が念を押す。
「海棠・・・そ、それは・・・」
そこまで行動をされるのか？と文句を言おうとしたら、加奈子さんだか、絵里香さんだかが
口を挟んだ。
「あら、麻里亜さん・・・恋人なのに苗字で呼ばせているんですか？」
「そうですわ。普通、恋人なら、麻里亜さんとか、麻里亜とか、あるいは、麻里亜ちゃん位が
適当かと思いますけど」
何故か、ふたりに、話題を変えられてしまった。
「そうですわ。お約束通り、恋人もお作りになったのに、呼び方が様になっていませんわ」
話を聞いていた俺は、こいつらが今の境遇に落しめした原因かと、何となく察した。
「で、でも、そ、そんな・・・」
「麻里亜さんでは、ただの友人のように聞こえますわ。麻里亜ちゃんとか、麻里ちゃんでは、
幼馴染の様・・・ここはやはり、麻里亜と呼び捨ての方が良くはないでしょうか？」
「よ、呼び捨てですって！？」
海棠が、抗議をする。
「そうですわね・・・麻里亜さんの方も水都君では、釣り合いが取れませんわ」
「ええ・・・理さん・・・理様が良いかしら？」
「私が呼び捨てにされるなら、同じ様に呼び捨てで呼びますわ」
ああ、もう、どうにでもしてくれ〜と思いながら、３人が会話しているのを見ていた。
「水都君」
神川部長が話し掛けて来た。
「水都君・・・噂の、よね」
「はあ」
俺の気の無い返事に対してだろうか、部長は手を口持って行き、クスッと笑った。
「出来れば、入部して貰えない？・・・演劇部の活動は木曜日と金曜日が主なの・・・
だから、他との掛け持ちも可能だと思うわ。ホントは男子部員もいるのよ。演じる人間だけじゃ
演劇は成り立たないし・・・それにあの３人と対等に話せそうなのは水都君だけの様な気が
するし、考えて貰えない？」
掛け持ちの方は別にしても・・・あの３人と対等に話せる人なんていないと思うぞ。
しかし・・・３人を誘ってはみたが、本当は対応に苦慮してるって事かな？
後から知ったことだが、この学校、部員数に対して部費を割り当てているらしい。
「実は、部活より、アルバイトを考えているんですけど・・・」
「え、そうなの？・・・この学校では、バイトの許可を得るのは難しいと思うわ」
「そうなんですか？」
「ええ・・・学校は、学生の本分は学問だって、考えているからね・・・」
「そうなんですか・・・」
「とは、言いながら、姉妹校には体育系の学校もあるけどね。ところで、水都君は、部活をって
言ったら、何かやりたい事があるの？」
「ええ、弓道とか・・・」
「弓道部？・・・ああ、部員が少なくて、去年から同好会になったはずだけど・・・あ、うちの学校、
運動部の方には、あまり、力、入っていなくてね・・・姉妹校の方では力入ってるみたいだけど」
「そうなんですか？」
「ふっ・・・その、そうなんですかって、水都君の口癖みたいね。３回目よ」
「えっ」
う〜・・・自分では、全然気がつかなかった。
「弓道部なら、体育館裏の方へ行けば直ぐ分かるはずよ。来週くらいからは、活動を始めると
思うわ」
「はい」
「それで、どうかしら？掛け持ちでも、構わないから、うちの部も考えて貰えないかしら？」
３人の方を見ると、まだ、呼び方で揉めている様だ。
断りきれるだろうか？・・・海棠に、入部するまで、責められるんだろうなあ・・・。
「海棠には、逆らえないって気がします」
「それって、ＯＫってことかしら？」
「ええ、まあ」
「ありがと。水都君」
神川部長は、満面の笑みを浮かべた。
「決まりましたわ・・・さあ、麻里亜さん」
「う・・・さ、理・・・私の事は、麻里亜と呼ぶように・・・」
結局、押し切られたのか・・・
「うん、分かった」
逆らいようが無いので、素直に同意しておく。
「水都君も、麻里亜さんのこと、ちゃんと呼んであげて」
「・・・、ああ、まずは、ふたりっきりの時にね」
「「きゃぁ〜〜」」
勝手に騒いでなさい。
「ところで、水都君、どうですの？」
「ええ、ホントによく役に立ってくれています」
海棠がはっきりと言い切る。
え、何かしたかな？・・・思い当たる節が無いぞ。
「まあ、それは？」
「告白してくる男子がいなくなりました」
ガクッ・・・
俺は虫除けかよ。
演劇部部室から教室へ向かって歩きながら、海棠に訊ねた。
「安田さん・・・何時に迎えに来るんだ？」
「心配をかけるのは良くありません。ですので、電話で連絡すれば、迎えに来る事としました」
そう言って、携帯電話を取り出して見せた。
「理がよければ、呼びますが・・・」
「え、俺？・・・海棠がよければ、俺は・・・」
「・・・」
「え、どうかしたのか？」
「私の事は、麻里亜と、名前で呼ぶようにと言いました」
「え、あ、そ、そうだった・・・」
「理は・・・最初は、ふたりっきりになったら、呼ぶとも言いました」
「た、確かに言ったけど・・・そんなきっちりと・・・」
「決めた事です・・・名前で、呼んでください」
決めたからって・・・海棠の顔を見ると、反論する気はなくなった。
「ま、まりあ・・・」
「はい・・・それでは、安田を呼びます」
海棠は、そう言って、後ろを向き、電話を掛け始めた。
「ねえ、先輩・・・加奈子さんと、絵里香さんて、誰？」
寮の夕食時に池田先輩に訊ねる。
この手の話は、池田先輩が詳しいって事が分かったからだ。
「はあ？・・・北城加奈子と山守絵里香のことか？」
「北城さんと、山守さんか・・・」
「ふたりがどうしたって？」
「いえ、海棠に紹介されたんですが、苗字じゃなくって名前で紹介するものだから、全然、
分からなくて・・・」
「そうなのか・・・ふ〜ん・・・そうすると、後、話に出てきそうなのは、草薙陽子・・・
ってところかな」
「それ、誰なんですか？」
「我校の“４人のお嬢様”のひとりさ・・・今の３人とは、あまり付き合いは無いみたいだが・・・」
「そうなんですか」
「ああ、無口って評判らしい」
「無口ですか・・・強引、お喋り、それに無口ですか・・・」
「“美人で有名な”ってのも付け加えないといけないけどな」
「はあ・・・」
「水都って、変わってるな。海棠麻里亜だぞ。お前、美的感覚ってのは無いのか？」
「そんなことより、先輩、今日こそは、ホントの歓迎会になるんじゃなかったですか？」
「あ、でもな、こんな旬の話題、逃すには惜しいだろ」
「その通りだ。楽しいければ良いんじゃないか」
今まで、笑いながら聞いていた松居先輩が口を挟む。
この後のパターンは、大体読めた。松居先輩の口火を切っ掛けに皆が参加して来るんだ。
でも、海棠に名前で呼べって言われた事は、絶対喋らないぞ。
・・・案の定、消灯時間まで、皆の会話が途切れるって事はなかった。
なんとか、実力試験後半を乗り切った日の放課後。
先程から、劇で使用したセットをバラしている。
ああ、眠・・・
暫くは午前中の授業だけだって事だけど・・・こんな作業が待っているんじゃなあ。
昨今、資源の有効使用、リサイクルが叫ばれているから、演劇部でもセットの再利用を
するんだとか。
お嬢様方は、衣装やら鬘やら部の備品を見ながら、優雅にお茶等なさっておられるし・・・
男子部員もいるって事だったのに、誰も出てこないし・・・この待遇って一体何なんだ。
あ、考えてみたら、部活動が始まるのは来週くらいからって、神川部長が言ってたっけ。
「理、アルバイト、探しているんですって？」
「うん・・・まあね」
休憩に入ったところへ海棠が近づいてきた。
「うちの学校は、アルバイトなんて簡単に許可したりしないわよ」
「そうなんだってね」
昨日は、寮でも多少、情報を先輩達から聞いたけど・・・アルバイトに関してはそのようだ。
ちょっと、夜遅くまで起きていて、ちょっと眠い。
「海・・・麻里亜、許可が下りそうなバイト知らないか？」
頭の中が寝ているんだろうか？海棠にそんな事を訊いていた。
「そ、そうですわね・・・少し聞いてみますわ」
４月の日差しが暖かく心地良い。
背凭れの長いこの椅子も・・・
はっ
いつの間にか眠ってしまったみたいだ。
気がつくと、部室には誰もいなくなっており、麻里亜が一人、窓の外を眺めていた。
あ、そうだった、校門まで送らなきゃいけないんだった。
「海・・・麻里亜、ごめん。寝ちゃってたみたいだ。直ぐ、送っていくから」
「さ、理・・・あ、あの・・・か、顔を・・・顔を洗って来た方が良いです」
「え？」
「あの・・・ふたりが、悪戯を・・・」
「何ぃ」
洗面所に駆け込み、鏡を見ると、目眩がした。
女って、どうして、こういう事（悪戯）が好きなのだろう？
真美姉にも、一度・・・
後で申し訳なさそうに立っている麻里亜に気がついた。
「麻里亜、持ってる？洗顔用のクレン・・・」
申し訳なさそうに、麻里亜が差し出している。
「あ、サンキュウ・・・それにしても、このほっぺたに書いてある太陽マークみたいなのはひどいな」
「そ、それ、私です。ごめんなさい」
「は？」
何？・・・麻里亜が書いたって？・・・それじゃあ、ふたりじゃなくって、３人の間違いだろう。
何を考えているんだか・・・ここまで来ると、怒る気にもなれない。
洗顔を終えると、麻里亜が、タオルを差し出す。
「あ、サンキュ・・・」
鏡で確認すると落書きはきれいに落ちたようだ。
「あの・・・これ・・・」
麻里亜が眼鏡を差し出している。
「ああ、そうか・・・」
麻里亜の手から眼鏡を受け取る。
「ま、麻里亜・・・そろそろ・・・」
「あ、そうですわね」
校門で迎えを待っていると、麻里亜がじっとこっちをみている。
「どうかした？」
「理・・・」
「え」
「あ、あの・・・」
「何？」
「つまり、今晩、家で、進学祝いのパーティみたいなものをするので、理も一緒に・・・」
「え」
俺を誘いたかったって事？
「え〜っと、あのふたりも・・・来る？」
「加奈子達？、ええ・・・」
なんか、悪い予感がするんだけど・・・
麻里亜達３人と俺・・・和気藹々と時間が過ぎる筈が無い。
「考えてみると、俺、寮生で、門限もあるし・・・」
「大丈夫です。門限は守ります・・・理は、私の恋人ですし、参加の義務があると思います」
「え・・・う・・・」
返事に詰まった俺を見てニッコリ笑う。これは、麻里亜が勝利を確認したって事か。
迎えの車が目の前に止まると麻里亜は言った。
「それでは、５時３０分に安田が迎えに行きますから」
「あ、あの・・・」
「あ、服装は、制服で構わないかと思います」
「う・・・」
「あ、そうでした。アルバイトの件もその時に話しましょう」
「え？」
「これなら、学校からも許可がおります。では、また、後程」
「あ、ああ・・・」
それだけ言うと麻里亜は車に乗り込んだ。
走り去る車を見送りながら麻里亜に感謝した。
結構、良い奴かも。出会いの印象が悪かっただけかもしれない。
実際には、麻里亜が直接アルバイト先を探した訳では無いだろうが、探してくれる様に
頼んでくれたに違いない。
寮へ戻ると、管理人のおばさんに呼び止められた。
「水都君。海棠さんの所から連絡があって、５時半に校門のところで待っていて欲しいそうよ」
「はい」
「ご招待されたんですって・・・良かったわね」
「ええ・・・まあ」
一応、笑顔を返しておく。
実際には、どんな時間を過ごす事になるのやら・・・。
制服をきっちり着込んで、約束の５時３０分少し前に校門のところへやって来た。
殆ど待つ事もなく安田さんがやって来た。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、今来たところなんです」
安田さんがドアを開けてくれ、車に乗り込む。
「いつも、麻里亜お嬢様がお世話になっております」
「いえ、そんな事・・・あの、安田さん、麻里亜の家はここから遠いんですか？」
あっ・・・麻里亜さんとか呼ばないといけなかったかな？
つい、呼び捨てにしてしまったけど・・・
「この近くで御座います。本宅は離れたところになりますが・・・」
安田さんは、前を見たまま答える。
呼び捨てについては、別段咎められる様な事はなさそうだ。
え、それじゃあ、ひとりで住んでいるって事？・・・の方が少し驚いた。
考えてみれば、麻里亜のことって、学校での事以外は良く知らない。
安田さんに訊いてみてもいいものだろうか？
少し迷ったが、麻里亜に直接訊く事に決めた。
暫くすると、車は、地下駐車場らしき場所へ入り、車は止まった。
「申し訳御座いません。こんな所から・・・」
安田さんは恐縮しているように見える。
安田さんの後をついていくと、エレベータのところで、ボタンを押している。
「あ、ここは、麻里亜お嬢様専用のエレベータでして・・・今、暗証番号を入力したところで
御座います」
安田さんの説明が終わるか終わらないタイミングで、エレベータのドアが開いた。
「お部屋は、６階なのですが・・・このエレベータは、地価駐車場と１階に停まる様に
なっています」
エレベータを降り、右側の方へ歩いて行く。
「麻里亜お嬢様のお部屋は、左側の突き当たりのドアになります。今は、イベント会場の
控え室の方へ行きますから・・・」
安田さんは、丁寧に説明してくれた。
一番近いドアを開けると、ソファに座った麻里亜がいた。
「お連れ致しました」
「ありがとう・・・理、ここに座って」
促されるまま、ソファに座る。
テーブルの上には、ノートみたいなのが置いてある。
「内容は、これで良いかしら」
「何これ？」
「契約書です」
「契約書？」
「アルバイトの・・・私も、一応、目を通させて貰いましたわ」
「へえ」
一冊のノートくらいある契約書を受け取る。コレ、読めってか？たかが、アルバイトに？
頬がひくつくのが自分でも分かった。
「で、どんな仕事？」
「そうですわね・・・一言で言ってしまえば、雑用・・・かしら？」
「雑用？」
「そう・・・主な仕事としては昼と夜の食事を作る事。食事は・・・作れますの？」
順番が逆の様な気がするけど・・・
「簡単なもので良いなら・・・」
「上等です。後は、掃除等、その都度依頼された事をこなす事・・・ですわ。それから、食事が
つきます。ただし、食材で、ですけど」
「それって・・・ベビーシッター？・・・家政婦さんの様な仕事？食材のみってことは、一緒に
作っても良いってこと？」
「ベビーシッターではありませんけど・・・そういうことですわね。特に仕事が無い場合は、
自由にしていて構いません」
「へええ・・・いいのかな、そんなので・・・小さい子に勉強を教えるとか、そんなのかとも
思ったけど、ホントに家政婦さんなんだ」
「あ、そちらの方が・・・良かったかしら？」
「ううん。麻里亜が見つけてくれたので問題ないけど」
「そうですか・・・時間は、朝の９時頃から夜の７時頃まで・・・不都合でしたら・・・」
「大丈夫」
「１週間のうち、土曜と日曜・・・で宜しいかしら？」
「うん。コレなら、学校側もＯＫくれるって事だね？」
「ええ」
「サンキュ、麻里亜・・・で、何処にサインするの？」
「ここと、ここに・・・印鑑は・・・では、拇印で・・・ええ、それでＯＫですわ」
「助かったよ、麻里亜。学校側が納得するようなアルバイトって言われても、全然分からなくて」
「いえ・・・寮の方へも連絡するように伝えておきます」
「何から何まで悪いなあ・・・ええっと、あのさあ、バイト代ってどの位？何日から？」
「え、ええ・・・この位では？」
「え、そ、そんなに？」
「ええ・・・それから・・・仕事は明日からでも構いませんか？」
「あ、うん。分かった」
金額を見ると、雑用ってかなりキツイ仕事なのかな・・・なんて思ってしまう。
「そろそろ、参りましょうか・・・お客様が参られますわ」
麻里亜が立ち上がると、ドアがノックされる音が聞こえ、ドアが開いた。
ドアから、北城さんと山守さんが顔を覗かせた。
「あら、お姫様、もう来てたの？」
「はあ？」
第２話 終了
