車から降りると麻里亜が居るという居間へ走った。
居間には普段着の・・・あれ？何処かへ出掛けるつもりなのだろうか？
綺麗に装った麻里亜がソファに座っていた。
「麻里亜、これは、どういうこと？」
麻里亜に強い口調で言ったつもりなのだが帰ってきたのは落ち着いた挨拶だった。
「おはよう。理」
「え、あ・・・お、おはよう」
ちょっと、出鼻を挫かれた感じ・・・。
「アルバイトの件ですか・・・学校が文句を言えないアルバイトは限られています。私の所、つまり、
海棠家であれば誰からも文句は出ません。ですから、この仕事であれば、自信を持って奨める
ことができます」
こんな話になる事を予想していたのだろうか？麻里亜は冷静だった。
「でも、この家は、麻里亜が管理してるって聞いたよ。という事は、麻里亜が・・・アルバイト料を
払うってことなんだよね」
「理が心配しているのはその事ですか。それは、大丈夫です。私の家自体が、一般の会社と
同様の運営を行っています。つまり、私が社長に当たる訳です」
「良く分からないけど・・・」
「これは、その一例ですが、昨日使用した部屋は、幾つかに区切る事が出来ます。あの部屋を
会議研修等に貸出することで、収入を得ています。つまり、一種のサービス業なのです。他にも
ありますが・・・そういったことで、この家で働いている人達へ、給料を支払っています。
理の場合も、社長の・・・私の世話という重要な業務を担当して貰う事になる訳です」
麻里亜の所って、ホントに会社なの？あれ・・・ちょっと、待ってよ。
「それじゃあ、アルバイトは学校の許可が要るのに、会社経営は許可は要らないの」
「校則に、アルバイトについての記載はありますが、会社経営については記載がありません。
実際の代表者は私のお祖母様になっていますし・・・したがって、許可は要らないと言えます」
なんだか詭弁って気もするけど、誰も学生がそんな事をするなんて考えなかったって訳か。
ああ、それで、麻里亜のお父さんが、また、面白い遊びを思いついたって言った訳だ。
「理には、感謝しています」
「え？」
「理がアルバイトしてくれるお陰で、ふたりのメイドが、本邸での研修を受ける事が出来ます」
「？」
海棠家のメイドにはランクがあり、Ａランクともなれば一流会社の秘書を難なくこなせる位の
レベルなんだそうだ。ふたりは、まだＣランクなんだそうだけど、研修を受けるとＢランクに
なれるそうだ。成績が良ければその上も狙えるらしいけど、その為には、毎週、土曜、日曜に
行われる本邸で行われる研修を受ける必要があるらしい。
そうまで言われると、納得させられたような気持ちになる。
「理、家の案内と、仕事の内容を確認なさい」
麻里亜の言葉に頷いてしまった。
案内してくれたのが、そのふたり。翠さんと黄菜子さん。
それにしても、麻里亜の家は広い。
昨日使った場所が通称Ａゾーンと呼ばれているところ。ここは一般の人が出入りする。
少し覗いてみたが、今日も、幾つかに区切った部屋の数箇所が使用中になっていた。
次がＢゾーンと呼ばれているところで、従業員や関係者が出入りする。事務所や、厨房などが
存在している。ちなみに、昨日休憩に使った控え室もこのゾーンにある。
このＡ，Ｂゾーンは、今回、俺の仕事には関係ない。
俺が関係する場所は、Ｐゾーンと呼ばれている、つまり、麻里亜の生活空間。
Ｐゾーンには図書室、音楽室、応接室など・・・屋上にはプールもあるとか・・・お金持ちって、
何を考えているのか？
それはさておき、麻里亜の私室は特にＳエリアと呼ばれているらしい。他にも色々説明を
受けたがホントに頭に入ったのだろうか、自分でも疑わしい。
主な仕事は炊事、掃除、洗濯と言った所。秘書と呼ばれる人がそんな事までするとも思えない
が、何事も基礎が大事なのだとか・・・それはさておき、掃除、洗濯は、案内してくれたふたりが、
通常済ませておくとの事なので、食事を作るのが主な仕事と言える。
研修の第一段階は、３ヶ月程度だと聞いた。だとすれば、麻里亜が、自分の食事くらい自分で
作れば良いだろうに・・・とは、声に出しては言えない。だって、高校生のアルバイト料としては
破格と思えるし。
案内と仕事の概略を聞き終えると、黄菜子さんが言った。
「あの・・・これが制服なんですが・・・」
「あ、制服があるんですか？」
制服の支給があるとまでは聞いていなかったけど。
「ええ・・・でも、違いますよね」
違います？
黄菜子さんが紙袋を渡すのを躊躇っている。
「？」
「お嬢様に聞いては、いたんですが・・・」
翠さんが困った顔をしている。何故だろう。
「それですね・・・着てみます」
黄菜子さんから紙袋を受け取ると、先程案内して貰った控え室へ向かう。
「あ、あの・・・でも」
「制服・・・ホントに、良いのかしら？」
「お嬢様・・・男の方だなんて・・・」
紙袋を開けてみて、びっくり。中は女性用の制服が一式。
エプロンだけ使わせて貰おう。服を脱いで私服に着替え、エプロンをつける。
ひらひらの飾りが気になったが、あえて気にしない事にした。
「そ、そうですよね」
エプロンのみをつけて現れた俺を見て、翠さんと黄菜子さんは納得した。
出掛ける準備をすると云う翠さん達にお礼を言って、居間へ戻った俺は、書類を見ている
麻里亜に話し掛けた。
「麻里亜、一通り案内して貰ったけど・・・」
「ちぇっ・・・やっぱり、着なかったのね」
「麻里亜？」
「何でもありません。仕事の内容は把握しましたか？・・・それでは、他に聞きたいこととか、
要望とかは？」
「あ、それなら・・・」
アルバイトなのに安田さんに送り迎えして貰うのは心苦しい事、近いので歩いて来たい事を
麻里亜に話した。
「危険ではありませんか？」
「危険？」
危険って、ここまで来るのに罠とか仕掛けてあるのか？
「いえ、何でもありません・・・安田には、本邸への用事を頼もうと思っていたところでした。
理には、ＩＤの用意させましょう」
「ＩＤ？」
「この家へ入る時の鍵のようなもの・・・暗証番号です」
「は、はあ・・・」
なんかよく分からないうちに、麻里亜とふたりっきり。
「とりあえず・・・何しようかな？」
「今は、特に依頼事はありません」
「え、そ、そう？」
「立ってないでお座りになったら」
「う、うん・・・」
することが無いなんて、これ、ホントにアルバイトなんだろうか？
「ま、麻里亜は、何してるの？」
「先月分の会計報告を確認しています」
仕事中なのか・・・話し掛けて、仕事の邪魔をするのも良くないし・・・
しかし、アルバイトだと思うと、こう静かにしているって言うのも、なんか、落ち着かない。
「麻里亜」
「はい」
「あ・・・やっぱり、お、お嬢様とか、社長とか呼んだほうがいいのか？」
「何、馬鹿な事を・・・理には、麻里亜と呼ぶように言ったはずです」
「うん、それじゃあ、麻里亜、何処かへ出かける予定あるの？」
「いいえ、予定はありませんが・・・」
「そう・・・」
暫くは、待っているしか無いのか。
つい、麻里亜を眺める事になってしまう。
いや、眺めるといっても、ジロジロ見たりするのは失礼だと思ってる。視線が不快に
ならない様に、依頼事を待ってますって感じで見なきゃいけないんだって思いながら
見ていた。
静かに時間が過ぎていく。
しかし・・・麻里亜は、普段、こんな格好をしているんだ。
春らしい薄地のブラウスに、薄いピンク色のワンピース。袖や裾の部分はプリーツがつき、
襟元は少し濃い紫色で縁取りしてある。
麻里亜は・・・いや、お嬢様って呼ばれる人達は、普段からお洒落しているんだろうか？
麻里亜が時々溜息をついたりして、集中力が落ちてきているのが見てとれた。
「あ、麻里亜・・・あの、お茶でも入れようか？」
「ええ、そうですね。それでは、お紅茶を。お砂糖なしで」
「了解」
お茶を入れてしまうと、また、する事がなくなった。
「理も、一緒に入れればいいのに・・・」
「え、ああ・・・」
「そういったものは、一緒で構いません。それに・・・ひとりで飲んでいても美味しくありません」
麻里亜はそう言った後、また、仕事の方に集中し始めた。
自分のお茶を入れがら、周りを見回してみた。
この居間は、二階部分がないというより、吹き抜け風になっている。
この居間と続になっている食堂も同様だ。台所の上は先程案内して貰った図書室になっている。
そうして、その反対側にある部屋は・・・あれ？案内して貰っていない。
麻里亜の仕事が一段落ついたように見えた頃、尋ねてみた。
「麻里亜」
「はい」
「あの部屋は・・・何があるの？」
「あそこは・・・私の部屋です」
麻里亜は俺が指差した先を確認して答えてくれた。
そうか、つい、ここが麻里亜の家だという事を忘れてた。
「どうかしましたか？」
「あ、べ、別に・・・」
「そうですか？」
あの部分が翠さん達がＳエリアって呼んでいたところか・・・。
こんなところで座っていても落ち着かないし、食事の準備でもしていよう。
今日の昼食と夕食の材料は翠さん達が準備しておいてくれたから、あまりすることも
無いのだけれど。
「麻里亜」
「はい？」
「用事がなければ、ちょっと早いけど、食事の準備に掛かろうと思うけど」
「・・・ええ・・・特に用事はありませんけど・・・」
「それじゃ・・・あ、お茶とか飲みたくなったら、声掛けてね」
麻里亜は、黙って頷いた。
食事の準備が済んだ頃、電話が鳴った。
電話に出なきゃ・・・と思って、キッチンから出たら、既に、麻里亜が電話をとったところだった。
「はい・・・あ、私です・・・」
麻里亜が電話している間に、テーブルにお皿を並べていく。
暫くして、電話を切る音がした。
受話器を置いた麻里亜の顔は真青だった。
何があったんだ？
いつもの様に一歩離れて見ていた方が良かったんだろうか？そうすれば・・・
少し親密になってきたから、口を出してしまったのかもしれない。
「麻里亜、どうしたんだ？」
「何でもありません。部屋へ行きます」
「ちょっと待てよ」
何故か、麻里亜をひとりにしてはいけないと思った。
部屋へ戻ろうとした麻里亜の手をつかもうと・・・
女の子って、猫そのもの。って気がする。
暴れるし、爪を出して引っかくし・・・こっちも半分、意地になってきて・・・
後で冷静になって考えると、顔から火が出そうだ。
「何を・・・は、放しなさい」
「そんな顔見たら、放っておけないだろ」
腕の中で暴れる麻里亜をしっかり押さえ込んでいた。
「ちゃんと、話せよ」
いつしか、跳ね除けようとしていた麻里亜の方がしがみついているって状態になっていた。
声を押し殺して・・・泣いているのだろうか？
暫くして、落ち着いたのか、麻里亜は、ポツリポツリと話し始めた。
「さ、理には・・・恥ずかしい姿を見せてしまいました」
「そんなことはないよ」
麻里亜は静かに話を続けた。
「お祖母様が、入院なさいました」
「う、うん・・・え？」
「昨日のお祝いに、来て頂けなかったので、今日、安田に様子を見に行って貰ったのです」
「うん」
「いつもの様に仕事が忙しくて来れなくなったということであれば、諦めもついたのですが
・・・」
「その病院は、遠いの？」
「いいえ・・・そんなには・・・」
「それじゃあ、お見舞いに行く？」
「え・・・あっ」
意外なことを言われたとでも云う様に麻里亜が途惑っている。
「あ・・・でも、安田がいません」
「安田さん？」
「車が・・・」
「電車とかでは行けないの？」
「・・・」
普段の麻里亜からは想像出来ないうろたえぶり。
「ま、まさか・・・」
「そうです。ひとりで乗った事がありません」
絶句。
い、いや、考えてみれば、麻里亜のことは笑えない。地名聞いてもわかんないし。
俺が住んでいた所とは違いこちらは複雑なんだっけ。交通機関。
笑えないが、話の流れから『それでは仕方ないか』では済まされない。
「い、一緒に・・・ついて行こうか？」
「は、はい」
予想通りの答えを聞きながら、判りにくい場所ではありませんように・・・と祈っていた。
「しかし・・・結構、良いものかもしれません」
麻里亜は、ぼそっと呟いた。
「？？？」
麻里亜って良く分からない。
素早く昼食を済ませ、病院の位置を調べた。
地図を見ながらほっとする。分かりやすい場所みたいだ。
２時間後、なんとか病室の前までたどり着く事が出来た。
麻里亜の背中を軽く押すと、一度こちらを振り返り、少し不安げな笑みを残して病室へ
入っていった。
廊下の壁に寄り掛かり、溜息がひとつ。
麻里亜は殆どここへ来るまでの間、俺の服の袖を握り締めていた。小さい子供の様に。
病室のドアが開き、麻里亜が顔を出した。
「理・・・お祖母様が・・・」
お礼を言いたいってことらしい。
病室に入ると、ベッドの上には上半身を起こした麻里亜のお祖母様がいた。
背筋をピンと伸ばして座っているお祖母様の布団の中へ隠している手首からは点滴の管が
伸びていた。
傍で、麻里亜がカーディガンを直している。相変わらず、麻里亜は心配そうにしている。
「こんな格好でごめんなさい。麻里亜を・・・ここまで連れ来てくれて有難う」
「いえ、たいした事をした訳では・・・でも、お元気そうで良かったです」
「大丈夫。ちょっと、疲れが出ただけですよ」
「お、お祖父様も、そう仰っていました」
麻里亜はそう言って横を向く。
「ま、麻里亜・・・」
お祖母様は困ったような顔をしている。
今日は、麻里亜の意外な顔をいくつも見たような気がする。
「あ・・・私ったら、子供みたいなことを・・・」
俺の視線に気づき、慌てて取り繕う麻里亜がいる。
「麻里亜には、ちょっとした冒険だったろうね」
「ええ・・・でも、理がいましたから・・・」
「麻里亜のナイト様ね」
「ち、違います」
そこまで、きっぱり、否定されるとがっかりしたが、次の言葉を聞いて真っ赤になってしまった。
「わ、私の・・・王子様です」
「まあ、そうなの」
その言葉に麻里亜のお祖母様は微笑んだが、俺は麻里亜の口から出た次の言葉を聞いて
眩暈がした。
「あ・・・と、言うよりは、月に住むお姫様なんです」
麻里亜のお祖母様は微笑むのを止め、孫娘をじっと見据えた。
その視線は、やがてこっちの方へゆっくりと移ってきた。
「無駄です。お祖母様。月のお姫様は、そんな簡単に正体を明かしません」
麻里亜の言葉にお祖母様は声を上げて笑った。
「そうだね、麻里亜。信じる者にしか正体を明かしてくれないのかもしれないね」
ふたりの会話は少しも理解出来なかった。
帰る道々考えたがさっぱり分からない。
麻里亜に聞いても、『内緒です』『そのうち分かります』としか言わないし。
家に戻った俺は、急いで夕食の準備を始めた。
麻里亜は食事の準備をする俺の方を見ながら、何か考えている様だった。
そうして、食事中も、何故か笑みを絶やさない麻里亜。
そんな麻里亜に、少し、不気味なものを感じていた。
食後、麻里亜は片付けを始めた俺に向って言った。
「よ〜く考えると、理は、主人に乱暴を働いたと言えなくもないと思います」
「はあ？・・・一体、何の話だ？」
「お昼のことです。もう、忘れてしまったのですか？」
昼？麻里亜から電話の内容を聞き出したこと？
「な、何んでそうなるんだ？」
「部屋へ戻ろうとした私を、いきなり抱きしめた・・・違いますか？」
え・・・違うって言いたかったけど、客観的に見れば、麻里亜の言うとおり。
自然、声が小さくなる。
「あの・・・いや、確かにそうかもしれないけど・・・」
「認めましたね」
麻里亜は、ニッコリ笑って続けた。
「こういう場合のペナルティーとしては、契約書では、無償奉仕で償いをして頂く事になっていた
はずですが・・・」
契約書？そんなもの読んでない。それに、無償奉仕ってなんだっけ？
無償って、報酬が無いこと。奉仕って、仕えまつる事。
なんだ、そりゃあ。
「ちょっと、麻里亜？」
「普通は、解雇、損害賠償なのですが、それでは、面白くなかったので、契約書を無償奉仕に
書き換えたのです」
「お、面白くないからって・・・そんなこと・・・」
「それで、色々考えたのですが、理には感謝すべき所も多々ありましたので、今回は、
罰ゲームをして貰う事で、許す事にしました」
「ば、罰ゲーム？」
どうして、そんな話になるんだ？
「私としては、無期限の無償奉仕でも構わないのですが・・・」
「む、無期限？」
「どちらを選ぶかは、理に任せます」
「ば、罰ゲームって、何？」
「決めたのですか」
麻里亜の顔がぱっと、明るくなる。
他に選択肢があるかよ。
「それは、明日にしましょう」
楽しそうに微笑む麻里亜が小悪魔に見えたのは言うまでも無い。
第４話 終了
