「理、いつまで寝ているのです？朝食の準備は出来てしまっているのですよ。早く起きなさい」
麻里亜の声が聞こえた。
慌てて上半身を起こし、周りを見回す。
カーテンの隙間から光が漏れているだけで、誰も居るはずもない。
そりゃそうだ。連休に入ったから、昨日、家に戻ってきたんだし。
ここは、自分の部屋で、麻里亜なんか居るはずが無い。
それにしても、休みの日にまで、夢にまで出てくるとは、どうなっているんだ？
頭のちょっと上の辺りの空間を手のひらでパタパタと払ってみる。
勿論、何かがある訳ではない。手は単に宙を切っただけ。
麻里亜が起こしに来るなんて、ありえない話だ。それに、「朝食はまだ出来ないのですか？」
の間違い？
入学以来、一緒に居ることが多かったから、きっと、こんな夢をみたのだろう。
カーテンと窓を開けると、部屋に爽やかな陽光が差込み、少し冷たい空気が流れ込んできた。
カレンダーで言えば、連休中に登校日があったのだが、その日は先生方の研修日になっている
為、学生達はずっと休みになっている。帰省する人間にとっては大変有り難い。
特にすることも無いので、何となく、境内の掃除。
以前だったら日常の事なのに、今は、懐かしい気さえする。
・・・が、３日目ともなると、そんな気も起こらなくなった。
一体、この退屈な日々はいつまで続くのだろう・・・
いつしか、こんな風に考えるまでになっていた。
もう４時頃かなあと思っていると、俺を呼ぶ声がした。
「理ぃ〜・・・ここに居たんだ」
顔を上げると、真美姉と原田さんの姿が見えた。
真美姉が思いっきり手を振っている。
その後には、日高さんと白石さんの姿もあった。
「こっちへ帰って来てるって聞いたから・・・理君の顔、見に来たんだよ」
白石さんが微笑む。
「学校の方、どう？」
「はい。何とか、やってます」
そう答えると、今度は日高さんが問いかけてきた。
「クラブとか、入った？」
「ええ、弓道部と演劇部に」
「へえ・・・ふたつも・・・頑張ってるみたいだね」
「理君、向こうでは下宿？」
原田さんが尋ねた。
「今は、学校の寮に入ってて・・・」
原田さんの問いかけに答えながら、ふと、頭の中で何か引っ掛かるものを感じた。
あっ、思い出した。
「ま、真美姉っ！学校へ提出するアンケートに、悪戯書きしただろう」
「え？・・・そんなことしないよ」
真美姉ったら、キョトンとした顔をしている。まったく、心当りがないって顔してる。
まったく、この従姉弟は・・・。
「いびき!、歯軋り!」
「えっ・・・あっ」
やっと、思い当たったようだ。
「真美ちゃん、やったんだ」
原田さん、呆れ顔。
「学校のアンケートに？」
「提出書類に悪戯書きするなんて感心しないな」
白石さんと、日高さんが呟く。
「いや、その・・・」
皆の視線が真美姉に集中する。
「そ、そうだ。コンビニで、ガム買ったの。皆、どう？」
ポケットから、ガムを出すと、皆に１枚ずつ配り始める真美姉。
「残りは、理にあげるね」
そう言って、残りを真美姉が押し付けてきた。
完全に誤魔化しの態勢に入っている。
こんな事で誤魔化されないぞって思っていたら、真美姉が別の話しを振ってきた。
「そ、そうだ。理の学校って、カトリック系なんだって？」
「な、何でそれを・・・」
今、グサッて感じで、胸に矢が刺さった。
これは、第一級の秘密事項。出来れば、３年間、誰にも知られずにって思ってたのに・・・
「伯父さんが言ってた」
え！親父。
２本目の矢が胸に刺さった。
「『他教の事を知る事は良い事だ。どの宗教も正しい事を教えている。そして、教えを説く人
と信じる人が問題である事に気付けば充分だ』な〜んて、言ってたけど・・・」
クソッ・・・親父の言いそうな事だ。
「そうそう、『大学は、仏教系とかを選ぶつもりなのかな』とも、言ってたけど」
「う・・・」
グサッ・・・矢がまた１本。
このままでは、全身に矢が刺さってハリネズミ状態になってしまいそうだ。
「さ、理君・・・それ、何してるの？」
白石さんが首を傾げている。
「演劇部・・・だからかな？」
日高さんが白石さんに解説を始めた。
演劇部員はその人物の感情を体の動作とかで表さなければいけないから、オーバーアクション
くらいでないとダメなんだ、と。
いつの間にそんなことをしていたんだろう？・・・赤面する。俺はただの道具係りなのに・・・。
「ま、真美ちゃん。話題変えなさいよ」
「ほえ？」
真美姉は訳の分からない声を出して、それじゃあって、質問してきた。
「理、友達出来た？」
「え、んん・・・まあ・・・」
真美姉は、御丁寧に人差し指を立てて、左右に振った。
「ふふん。ちなみに、この場合の友達は、女友達だよ〜ん」
何が、ちなみなんだろう？
「理には、無理だったかな」
「ま、真美ちゃん」
原田さんが気を廻して、話題を変えたらって言ったつもりだったのに、これじゃ、同じだよっ
て思ったのだろうか、真美姉の袖を引っ張った。
構わずに、真美姉が続ける。
「伯母さんが、『理は中学時代、ひとりのＧＦだって連れて来なかった』って心配してたからね」
「それなら、真美ちゃんだって・・・」
真美姉は、『私はいいの』って云うつもりなのか、コホンと咳払いをした。
何処までも自分の事は棚上げにするつもりらしい。真美姉らしいと思った時、
「さとしーっ」
俺を呼ぶ声がした。
皆が一斉に振り返る。
そには、石段を駆け上って来た為であろう、肩で息をしている少女がいた。
「ど、どうして？」
俺の口から、そんな言葉が漏れた。
その少女は息を整えると、傍まで走り寄ってきた。
「近くまで来たので、ちょっと寄ってみました」
ちょっと？
「あ・・・そ、そうなんだ・・・」
辛うじて頷く、俺。
「えっ、、妖精？あ、あの・・・この子、誰？今のは、日本語だよね？」
明らかにパニックを起こしている真美姉がそこに居た。
「理・・・紹介して下さい」
「え？」
右手を自分の胸に当てているところを見ると、自分を皆に紹介してってことか。
自己紹介してくれれば良いのに・・・とも思ったが、お嬢様ともなればそうもいかないのかも。
でも、この場合の紹介って、ちょっと、難しい課題かも。
単にクラスメートとだけで良いのか、麻里亜の家の事とかも説明がいるのだろうか？
第一、学校での自己紹介の時だって省略してたし・・・
とりあえずは、簡単な説明だけにすることにした。
「えっと・・・か、彼女は、クラスメートの海棠麻里亜さん。こっちが従姉弟の真美姉・・・」
「うえっっと、み、水都真美です。宜しくね。こっちは、私のクラスメート達」
復活の早い真美姉。でも、こんな時には助かる・・・って、思った。
「原田亜矢です。宜しくね、麻里亜さん」
「日高孝司です」
「初めまして。白石晴香です」
と、言葉を交わした後、こっちを向いた麻里亜が強く言った。
「紹介、たったそれだけですか？」
「たったそれだけって・・・」
やっぱり、家の事とか、説明した方が良かったのだろうか、と思った時、
「これです」
と言ってポケットから出したのは・・・えっ、学校新聞？・・・あっ！
「うわぁ、ま、麻里亜」
取り上げようとしたら、真美姉に先を越された。
「今年度最初のカップル・・・へ？」
記事の部分を御丁寧に赤色の枠線で囲んでいたようだ。
「な、何・・・これ」
皆が真美姉の後ろから覗き込み、記事を見ている。
「ふ〜ん・・・理君もやるもんだね」
「へえ〜」
なんて声が聞こえる。ちょっと、赤面。
「真美ちゃんの負けね」
「うん。水都さんの完敗」
「うー」
「ねえ、お邪魔虫は退散しようか？」
「うえっ、な、何でよ」
「いいから、いいから・・・」
気を利かせてるつもりなんだろうか？
皆、暴れてる真美姉を引きずって、石段の方へ歩いて行く。
日高さんがにっこり笑って言った。
「理君、またね」
「え、あ、あの・・・」
説明をする暇もなかった。
いや、説明を求められても困るか・・・。
う〜ん・・・それより、問題は、こっちの方か。
麻里亜の方へ向き直っていった。
「突然来るなんて、何かあったの？」
「こちらから、アプローチしないと進展しないかと・・・」
「はい？」
「いえ、理が退屈してるだろうと思いまして・・・」
「うん、ま、忙しくはないけど・・・さ」
見るからに、閑散とした境内・・・。
「それにしても、理の家・・・もの凄く広くて立派ではありませんか」
麻里亜の言葉に眩暈。
「あのね、ここは神社。神様のお家なの」
「神様の・・・ああ、そうなのですか？では、理の家は何処に・・・？」
「えっ・・・あ、下に・・・そのぉ・・・石段を上る前の・・・」
「分かりました。後で案内して下さい」
家に寄るのか？・・・そうなると、親に紹介することになるのか？
また、さっきの様に・・・ま、学校新聞は、真美姉が持って行ったし・・・
変なことにはならないだろう。
「理の周りには、綺麗な人が多いのですね。理が靡かない訳ですね・・・」
「は？」
「な、何でも、ありません。私、お祈りをしてきます。お祈りする所は・・・あそこですか？」
「それより、麻里亜。ここまで、どうやって来たの？」
一人で電車に乗れない麻里亜がどうして此処にいるのか、とても不思議だった。
「あっ、そうでした。お祖母様のこと、忘れていました」
麻里亜が振り向くと、そこには、麻里亜のお祖母様と、安田さん、それに女性が一人が
石段を上ってくるのが見えた。
「麻里亜のこと、いつも有難う」
麻里亜のお祖母様は、微笑みながら言った。
「体の方は、もう、大丈夫なのですか？」
「ありがとう。もう、すっかり・・・」
「でも、気を付けて貰わないと、困ります」
麻里亜がすかさず言った。
「浅葱と同じことを言うのね。麻里亜も」
横で、女性と安田さんが苦笑していた。
「理は、浅葱とは面識ありましたよね」
麻里亜の言葉に、記憶の糸を手繰り寄せた。
ああ、そうか。この女性が浅葱さんだ。
病院で、麻里亜が『浅葱がお祖母様に付いていてくれるなら安心して帰れるわ』って言っていた。
あの時の・・・あの時は軽く会釈を交わした程度だったけど・・・確か、秘書をしてるとか。
「確か・・・病院で・・・」
「ええ・・・お嬢様がご迷惑をおかけしていませんか？」
「はあ・・・まあ、それなりです」
浅葱さんがクスッと笑った。
「そ、それなりって、どう云う事です？私がいつ・・・ま、全く、無いとは、申しませんが・・・」
と言って、プィっと横を向いた。
へえ、少しは、自覚があるんだと思った。
麻里亜は突然思い出したように言った。
「それでは、私、お祈りしてきます」
行きかけた麻里亜が、立ち止まって訊いた。
「どうすれば良いのですか？」
「作法はあまり気にする必要は無いよ。手を合わせて心からお願い事をすれば良いよ」
「そうですか・・・それでは、お祖母さまの健康をお願いしてきます」
麻里亜は頷くと、拝殿の方へ向かって真っ直ぐ歩き始めた。
『その願い叶えよう』なんて云う声が聞こえてきそうだった。
「そう。それでは、私も、お祈りをしましょう」
お祖母様が麻里亜の後をついて歩いて行った。
「石段、大丈夫でした？」
「ええ、まあ・・・しかし、会長は、さすがに・・・」
安田さんと浅葱さんが、顔を見合わせる。
「実は、ちょっと回り道になりますが、車で上がって来れるんです」
結婚式とか行事を行う建物の方を指差して言葉を続けた。
「いちいち、上と下を行き来するのが大変だって話があって、今は、その建物の裏まで、車が
入って来れるんです」
「そうですか、それは助かります」
安田さんに大まかに道順を説明すると、石段を下りていった。
最初に入る道さえ間違わなければ迷うことはないはずだ。
麻里亜達は、古い建物を見ながら何か話をしているようだ。
安田さんが見えなくなると、浅葱さんは、一度麻里亜の方を見てから言い辛そうに言った。
「理様は、お嬢様の恋人とのことですが・・・」
これは、きっと、麻里亜のことを心配しての発言なのだろう。
もしかすると、本当に恋人かどうかを見極めようとしてるとか？
「麻里亜に言わせれば、男除け（ムシヨケ）位には、役にたっているそうですけど・・・」
「理様・・・」
「はい？」
「・・・お嬢様の様子が少し・・・変・・・あ、いえ、何と言えば良いのでしょう・・・」
「変？」
浅葱さんは、ちょっと、困ったような顔をした。
見極めようと云うのとはちょっと違うようだ。麻里亜がどうかしたのだろうか？
「理様には、お休みの日も、お嬢様のお世話をして頂いているようですし・・・何か感じません
でしたか？」
「いつもと同じだと・・・思いますけど」
「そうでしょうか・・・それなら、良いのですが・・・」
凄く心配そうだけど、麻里亜とはどんな関係なのだろう。
なんで、浅葱さんという人は、麻里亜の事をそんなに心配するのだろうか？
「浅葱さんは・・・そのォ・・・麻里亜とは・・・」
「数年前までは、お嬢様のお世話をさせて頂いていました」
「ああ、そうだったんですか」
「ええ、お嬢様には色々と目を掛けて頂いて、今はこうして、会長秘書まで・・・」
浅葱さんは、もう一度麻里亜の方を見た。
「今日は・・・こちらの方へ用があったのですか？」
「いいえ、お嬢様がドライブをしようと会長をお誘いになって・・・」
浅葱さんは、ちらりと、お参りをしている二人の方をちらりと見た。
「ド、ドライブですか？」
「ええ、こんなに遠くとは思いもしませんでしたが・・・」
麻里亜は、ちょっと、寄ったって・・・
ここが目的地？・・・じゃあ、何しに来たんだ？
「あの・・・理様。この辺りにホテルとかは？」
「ホテル・・・ですか？」
「ええ、こちらの方で一泊することになりそうなのですが・・・突然の事だったので、
この辺りの事を調べてこなかったのです」
「それは、僕にも・・・家に戻って訊いてみます」
「お願いします」
浅葱さんが、丁寧に頭を下げた。
麻里亜達が戻り、全員が揃うと、家の方へ行く事になった。
麻里亜は『私は、理と一緒に石段を下りて行きます』
と言ってついて来た。
石段を降りながら麻里亜に訊ねる。
「本当は、何しに来たの？」
「ですから、理が退屈しているだろうと・・・」
「それだけ？」
「はい。それと・・・観光・・・」
「観光？」
まあ、そう云うのも有りか。連休だし。
家の前まで来ると、麻里亜が呟いた。
「理の家、立派です」
「え？・・・どうして？」
「平屋だからです」
意味が分からない。確かに部屋数はあるので、大きく見える。でも、古い。
それに、平屋には見えるけど、二階部分もあるのだが・・・と思いつつ、質問してみる。
「平屋だと、何故？」
「それは、上に伸びなくても、土地があるという事でしょう」
麻里亜は空を指差した。
「は？」
どっと、疲れが出た。田舎の地価と都会の地価を同じだと考えるなよ。
おや、待てよ。そうすると、麻里亜の家って・・・どの位するのだろう？
「さあちゃん？」
「えっ」
振り返ると、母さんが居た。
「か、母さん・・・」
「ただいま」
母さんは、笑顔を作って挨拶した後、麻里亜の方を見て訊ねた。
「あら、そちらの方は？」
不意打ちだ。心の準備が出来ていないうちに、こんな事になるとは・・・
「うん。クラスメートの海棠麻里亜さん。こちらの方へは、お祖母様達と観光で・・・」
麻里亜を見ながら・・・と、言うより、観察しながらと、言った方がいいかもしれないが・・・
と、兎に角・・・説明し始めたのだが、麻里亜がスカートのポケットから、何かを
取り出そうとした。
げっ、学校新聞。チラッと見えたあれは、間違いなく学校新聞。一体全体、何枚持ってきたんだ？
ここからが、パニック。
「そ、それで・・・ま、麻里亜とは、そ、その・・・つきあ・・・いや、交際を・・・」
もう、何を言っているのか自分でも分からなくなってきた。
皆、どうしているのだろう。親に自分の彼女だと、どう紹介してるのだろう。
・・・と、空を見上げた時、麻里亜が、口を開いた。
「私、海棠麻里亜と申します。お見知りおき下さい」
そう言って、麻里亜は、深々とお辞儀をした。
「理さんには、親しくさせて頂いていまして、学校の部活動とか、色々教えて頂いたり、あ、
お休みの日とかも、とてもお世話になってます」
「まあ・・・」
「い、いや、世話になってるのは僕の方。アルバイトとかも紹介して貰ってるし・・・」
「そうなの・・・理、何も言わないから・・・時間は大丈夫かしら。少し上がっていって
もらえる？」
「ええ・・・」
どうなるんだろうと思った時、お祖母様達の乗った車が到着した。
あ、そうだった。ホテルの件もあったんだ。
近くのホテルをあたってみたが、連休と言う事もあってか、何処も満室状態だった。
お祖母様達は、最初遠慮されていたが、母さんの強い勧めもあって、泊まっていく事になった。
ここは、以前は結婚式の時の控え室として使われていたが、上に控え室が出来た今では殆ど
使われる事は無くなった。
この庭だって、時々、近くの植木屋さんが手入れに来てくれるだけだ。
「麻里亜は知らないでしょうけど・・・以前の家は、こんな感じだったのよ」
お婆様は、懐かしそうに庭を眺めた。
「以前の家？」
「私が、お祖父様の所へ嫁に来た頃の話ですよ」
麻里亜の問いに、お祖母様が優しく微笑む。
安田さんもその頃の話が分かるようで、時々、お祖母様の話に頷いていた。
その日は、和やかに過ぎて行ったのだが・・・その次の日・・・。
第８話 終了
